私の散歩論

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2013年5月6日月曜日

1917年頃の軽便鉄道の花見川架橋写真紹介


鉄道連隊の花見川架橋作業の紹介 5

1917年(大正6年)頃の鉄道連隊による軽便鉄道花見川架橋(花島橋梁)写真を紹介します。

1 写真紹介 秋季演習ニ於ケル架橋実況(其ノ四)

秋季演習ニ於ケル架橋実況(其ノ四)
「上掲(*)の甲分解式軽便鉄道橋をもちいてP001(**)の花島橋梁を架設する状況で、谷の最深部両側に群杭列の橋脚を立て、中間の足場は旧橋梁のティンバートレッスルを利用し、その上で左右のトラスを組み立て、続いて横梁で左右のトラスを連結せんとする状況で、撮影時期は1917年頃と思われる。」
出典:「写真に見る鉄道連隊」(髙木宏之著、光人社発行)
写真掲載は著者及び発行元の承諾済み
* 出典書では分解式鉄橋写真を掲載説明している。
** 次掲載カラー写真

感想
橋脚建設後、中間の足場をつくり、その上で2列のトラスを組み立て、その2列を連結して構造をつくるという工程がよくわかる写真と説明になっています。外地の戦場でこのような橋梁を迅速につくるための鉄道兵訓練の一コマです。

2 写真紹介 花島架橋

花島架橋
「鉄道連隊の代表車両のひとつが、双合軽便機関車であった。絵葉書は千葉の鉄道第一連隊営と、津田沼の鉄道第二連隊営をむすぶ「演習線路習志野線」の花島橋梁で、当初「架桟橋」と称するティンバートレッスルであったが、のちに「甲分解式軽便鉄道橋」と称するトラス桁に架け替えられた。双合軽便機関車と軽便炭水車の全長(連結面間)が合計約13.2mであることより、トラス桁の径間は約27mと思われ、両端は多数の杭を集合させた「群杭列」の橋脚で支持されている。」
 出典:「写真に見る鉄道連隊」(髙木宏之著、光人社発行)
写真掲載は著者及び発行元の承諾済み

感想
双合機関車とは2台の機関車を背中合わせに連結して運用することであるとよく理解できます。
車両の大きさと人の大きさのバランスが現代鉄道のそれと違うので、なおさら軽便鉄道のイメージが湧きます。
桁が車両の重さでたわんでいる有様が写っています。
2枚の写真撮影場場所は殆ど同じであり、右橋脚背後間近に台地の崖が写っていることから、花見川の下流側(橋梁の南側)から上流方向を向いて撮った写真だと思われます。

3 米軍撮影空中写真にみる花島橋梁
次の写真は米軍撮影空中写真(1949426日撮影)です。1は橋梁部分だけを拡大した写真、2は花見川の谷津付近の状況を示す写真です。

米軍撮影空中写真11949年撮影、USR-R2769-95106

米軍撮影空中写真21949年撮影、USR-R2769-95106

2列の桁が盛土斜面に明瞭な影となって写っています。
カラー写真「花島架橋」と同じ群杭列とトラス桁が残存している写真とみて間違いありません。

参考までに、現代の空中写真を掲載します。

現代の空中写真(斜め空中写真風)
グーグルアースより

つづく

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