私の散歩論

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2013年5月20日月曜日

「戸」を構成する4つのイメージ


花見川地峡の自然史と船越の記憶 7

1 参考 辞書に掲載された戸の意味
参考までに日本の国語辞書で最も詳しい日本国語大辞典(小学館発行)のと【戸・門】の項を見てみます。(例文等略)

と【戸・門】
①出入りする所、出入口。戸口。かど。もん。
②出入口、窓にとりつけて開閉できるようにしたもの。引き戸、開き戸などがある。とびら。ドア。
()河口や海などの両岸が狭くなっている所。水流が出入りする所。瀬戸。川門(かわと)。水門(みと)。
④(戸が音をたてることから)風の吹く日をいう、盗人仲間の隠語。
語源説
1)トムル(止)の義[国語本義・大言海]。ト(止)の義[言元梯]
2)トヅル(閉)の義[箋注和名抄・大言海・日本語源=賀茂百樹]
3)トホル(通)の義[日本釈名・名言通・和訓栞・ことばの根しらべ=鈴江潔子]。トホリグチ(通口)の下略[日本語原学=林甕臣]
4)戸を立てれば殿となることから、トノ(殿)の反[名語記]
5)トントンとたたく音から[国語溯源=大矢透]

2 私が考える「戸」のイメージ
私が、付け焼刃的に幾つかの資料や書籍を見て、現時点で想像する戸地名の戸のイメージを記録しておきます。
戸地名が最初に付けられた頃、つまり東京湾や香取の海が西方からやってきた人々によって最初に開拓(植民)されたころを念頭に置いています。
作業仮説としての「戸」イメージを持って戸地名の検討を進めてゆけば、イメージ無しで検討を進めるよりも効率がよいと思います。
また、このイメージを順次修正することにより、より的確な仮説を持てるまでのスピードも加速すると思います。
私が想像する戸のイメージをスケッチすると次のようになります。

私が考える「戸」のイメージ(2013.05.20

戸のイメージは4つの構成物から捉えることができると思います。以下このイメージ構成物について説明します。

3 「戸」の構成イメージ1 海の民・水上生活者そのものとその植民場所であることを表す
天戸・横戸・平戸・戸神・瀬戸・師戸・米戸・坂戸・関戸などのト(戸)の原義は人(ト)に通じるものであると考えます。(2013.05.18記事「紹介 戸が人に通じるという考え方」参照)
戸と称することは、そこに西国から大海をはるばる越えて植民にやってきた海の民・水上生活者が存在していることを表現したのだと考えます。戸は海の民・水上生活者そのものとその植民(生活)場所を表現しています。
なお、舟戸という地名が沢山あり、それらは船着場とか渡し場として理解できますが、その言葉が付けられた当初は水上生活者の居住地がそこにあって、水上生活者そのものを表していたことが多くの場合だと思います。

「戸」のイメージ1 海の民・水上生活者そのものとその植民場所

4 「戸」の構成イメージ2 軍事的拠点であることを表す
戸の意味を辞書で調べると最初に「出入りするところ」「出入り口」と出てきます。また、戸の語源説ではトムル(止)の義、トヅル(閉)の義が最初に出てきます。戸のこのような意味が地名となっている意味は、西国からはるばるやってきた海の民・水上生活者が入植した拠点が他者に奪われないために、軍事防御施設を伴う場所だったことに対応しているものと考えます。
水辺の集落や水上生活場所を柵等で囲み、出入口は扉となっていて、他者が舟を使って攻撃を仕掛けてきたとき、容易に侵入できない、軍事的防御施設になっていたものと考えます。
狩猟生活を送っていた原住民を追い出し、他の新旧入植者と陣取り合戦を展開して自分たちの水辺の植民拠点を確保するためには、他者からその場所を奪われないための施設(柵と門・扉)が必須であったと考えます。
このような軍事的側面に特化した戸(要塞としての戸)は特別に木戸・城戸と呼ばれていたものと考えます。

「戸」のイメージ2 防御施設としての柵や門・扉

5 「戸」の構成イメージ3 海の民・水上生活者の植民に好適な地形を表す
西国から大海を経由してこの地にやってきて、原住民や新旧の他の入植者と争って植民を果たすためには、植民拠点を設置するにふさわしい場所を確保する必要があります。
海の民・水上生活者にとって好適な拠点設置場所とは、海に面していること、水上交通の要衝であること(リアス式海岸の分岐部など)、河口や海の両岸が狭くなっていて舟を係留したり水上家屋を設置しやすい場所、水際と台地の間に生活できる土地があること、他者からの攻撃に対して防御しやすい閉じた空間であることなどであると考えます。
「戸」という言葉の意味には、このような植民拠点を設置する上で好適な地形の姿が織り込まれたものと考えます。

「戸」のイメージ3 海の民・水上生活者の植民に好適な地形

6 「戸」の構成イメージ4 船着場を表す
海の民・水上生活者の植民拠点には船着場の存在が必須ですから、「戸」の意味に施設としての船着場が織り込まれたものと考えます。
船着場を表す「戸」という言葉は、「ト(戸)の母音交替形」により「津」という言葉に変化し、現代に至っているものと考えます。(2013.05.05記事「戸は津より古い言葉(地名)である」参照)
(「津から戸が生れた」という誤った俗論が多くみられます。地名関係通俗書がその発信源のようです。)

「戸」のイメージ4 船着場

7 「戸」を語る視点場は海上にある
言葉「戸」のイメージの4つの構成物をみると、何れも対象物を海から見ていることに気がつきます。
●「海の民・水上生活者とその植民場所」を見る(考える)視点場は海上にあります。海から陸方向をみて(戸をみて)います。
空中から見ているわけでもなく(注1)、陸上(台地側)から見ているわけでもありません。
●「軍事的拠点(柵や扉で囲われた建物等)」を見る(考える)視点場は海上にあります。海から陸方向をみて(戸をみて)います。
空中から見ているわけでもなく、陸上(台地側)から見ているわけでもありません。
●「植民に好適な地形」を見る(考える)視点場は海上にあります。海から陸方向をみて(戸をみて)います。
空中から見ているわけでもなく、陸上(台地側)から見ているわけでもありません。
●「船着場」を見る(考える)視点場は海上にあります。海から陸方向をみて(戸をみて)います。
空中から見ているわけでもなく、陸上(台地側)から見ているわけでもありません。

海の民・水上生活者が花見川筋-香取の海に入植した時に戸地名が付けられたのですから、「戸」が海上を視点場にして語られる言葉であることは当然といえば当然です。

そうした言葉が語られる際の視点場を確認して、天戸・横戸・平戸・戸神・瀬戸・師戸・米戸・坂戸・関戸やその他多数の戸地名の由来について考えてみたいと思います。

*     *     *
1 まるでペルーのナスカ地上絵の名称のように、空中を視点場にして付けられた地名が花見川流域にあります。全国的に見てもここだけかも?(2012.02.15記事「三角町の地名由来」参照)
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つづく

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