私の散歩論

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2013年8月14日水曜日

杵隈(かしわい)=船着場の遺跡発見

花見川地峡の自然史と交通の記憶 55

千葉市花見川区柏井町の地名「柏井」の由来は杵隈(かしわい)=船着場と考えて、花見川-平戸川筋が古代東海道水運支路であるという仮説を構築してきています。(2013.07.14記事「千葉市柏井の由来は船着場(仮説)」、2013.07.29記事「杵隈(カシワイ)と古代官道基点を結ぶ通路」参照)

この地名由来に基づいて柏井付近の現場調査をしました。

そして、その場に身を置いてすぐに、船着場の遺構と考えられる地物を発見しました。さらにこの場所で船着場に関連する貝塚(※)までも発見しました。

1 船着場の遺構
次の図に示されるように、後谷津の花見川合流部では両岸から土塁が人工的に張りだしています。

この土塁により狭められたところが荷揚場及び関所であり、土塁の背後に船溜まりがあったものと考えます。

後谷津左岸(南岸)の土塁は近世からつづく旧家の屋敷ですが、この場に関所の管理施設があったと考えます。

後谷津右岸(北岸)の土塁は現在畑となっていますが、この場所が荷揚場、乗降場所になっていたものと考えます。この場所から緩斜面を登ると柏井・高津古代官道の起点である双子塚古墳に到達できます。

船着場付近の平面図

船着場付近の拡大説明図

船着場付近の地形3D

両岸から土塁で谷津を狭めて船着場をつくった様子

2 貝塚
荷揚場として利用されたと考える後谷津右岸(北岸)の土塁の基部に貝塚があります。
畑に白い貝殻が散布している状況です。

この土塁が荷揚場として機能していたころ(古代)、この付近に船着場の人夫や高津までの陸路の荷物運搬に従事した住民の住居があったと考えます。その人々がここを通る東京湾産ハマグリなどを駄賃等として入手し、食し、その場のごみために捨てたものと解釈します。(2013.07.16記事「古代花見川地峡の物流証拠<ハマグリ>」参照)

貝塚(畑に散布する貝殻)

………………………………………………
※ 貝塚
このブログでは、加曾利貝塚のような立派な貝塚だけを貝塚と呼ぶのではなく、「人為によって形成された貝殻の堆積するものを貝塚とする」という園生(そんのう)貝塚研究会の定義を参考に、貝塚という言葉を使います。
従って貝塚の形成年代は縄文時代等に限られると考えるのではなく、古代、中・近世、近・現代も含めて考えます。

園生貝塚研究会編「貝塚研究 第4号」(1999年)は花見川流域の貝塚を特集し、大変興味深い貝塚調査結果が掲載されています。

この柏井の貝塚が私が発見した貝塚第1号です。
………………………………………………

3 杵隈遺跡発見の最初の感想
杵隈(かしわい)=船着場の遺跡発見が、既成事実であるようなデジャブ的心理状況の中で、実際にその遺跡を発見しました。

高津、杵隈と遺跡発見が相次ぎました。また、柏井・高津古代官道の存在を暗示する資料(馬防土手やソイルマークの画像情報)も発見しました。

私の見立て(「古代東海道水運支路」仮説)が大局では正しいことを示していると考えます。
「古代東海道水運支路」仮説に対する自信が深まりました。

また、地名由来を仮説実証のトリガーとして活用するという方法論についても、その有効性を高津に引き続き柏井でも実体験することができました。

つづく

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2 件のコメント:

  1. 海老川(Ebigawa) 乱歩(Ranpo) です。

    1.貝塚について

      小生は、参考URLを以前から知っていたので、こんな所に本当に貝塚なんかあるのか
     疑問に思っていたのですが、本当に貝殻の散乱が有るのですね。
     やはり疑問に思う場合は、現場に出向いて確認をする必要があるようです。
     しかし、貝塚時代からの時間経過を考慮すると、普通は火山灰に覆われて
     露出していないと思うので、表面に貝殻が露出しているのが不思議です。
     その近辺は、高台の地表から何mか掘ると貝殻の層があるので、
     本当に貝塚なのか、ただの貝の層なのか分かりませんが、
     参考URLが本当ならば貝塚なのでしょう。(エラソーナ事言ってすいません)
     (貝殻が出土する層と、貝塚の層が一致しているように見えます。
     理由は、貝塚の層の土が海砂のように見えるからです。
     貝殻が出土する層もそのような海砂のような層だからです。)

      貝塚ならば、貝塚がある地理的条件を満たしていますし、舟運,水運,谷地に海水進入等が
     推定できる事になります。

     参考URL
     http://www.isekiwalker.com/iseki/355232/

    2.土塁について

     土塁は、掘割普請の捨土ですか。
     3Dも、写真も、土塁の盛土感が伝わってこないのでちょっとイメージし難いです。
     谷地に海水が進入していた頃に土塁が作られているとすると、発掘調査をすれば、
     土塁の周りにしがらみや、柵が出土する可能性もあります。

    返信削除
  2. 海老川乱歩さん コメントありがとうございます。

    1貝塚について
    土塁(古代に人が盛土したもの)の上の畑の表面に貝殻が散らばっています。
    私は土塁は8世紀頃つくられたと考えています。
    ですから海はこの近くにはありません。貝が採れるのは幕張付近と考えます。
    従って、貝は商品として流通していたものだと思っています。

    参考URLありがとうございます。この情報から千葉県埋蔵文化財として、この場所が柏井遺跡として登録されていることに、遅ればせながら気がつきました。

    2土塁について
    土塁は印旛沼堀割普請より1000年以上前につくられたものです。発掘調査すれば何か出てくる確率は高いと思います。

    詳しい説明は記事で行います。

    ありがとうございました。

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