花見川地峡の自然史と交通の記憶 49
高津土塁の検討を深めるために、現在想像しているその範囲や機能を記録しておきます。
この想像(仮説)を拠りどころに調査検討を進め、想像(仮説)の不適部分を修正し、新たにわかったことを付け加え、高津土塁に関する知識を深めて行きます。
1 高津土塁付近の米軍空中写真
高津土塁付近の米軍空中写真を示します。
高津土塁付近の米軍空中写真
1949年4月撮影
2 土塁付近の地形概要
土塁付近の地形概要とこれまで検討してきた柏井・高津古代官道に関する仮説をまとめて表示しました。
高津土塁付近の地形概要と柏井・高津古代官道(仮説)
土塁本体は崖と急斜面で囲まれた天端平坦面から成り立っています。
天端平坦面の上には砦施設が建設され、周辺地域の監視、出撃基地、籠城拠点としての役割を果たしていたものと考えます。
土塁本体の下に基部平坦面があります。この平坦面には低地から小さい入り江が入っています。砦の兵站施設があったものと考えます。
基部平坦面は東側では土堤がないので、この部分には木戸が付いている柵等が存在していたものと考えます。
基部平坦面の南に土堤があります。この土堤は砦背後から襲撃されないようにつくられた防衛線であると考えます。
3 土塁施設の機能
以上の検討をまとめてみると次のような機能図になります。
高津土塁の範囲と機能図
高津土塁の機能は砦施設、平坦施設、防衛施設の3つのゾーンに区分して考えることができるものと考えました。
4 高津土塁の範囲
高津土塁の概略範囲を現代地図にプロットしてみました。
高津土塁の範囲(イメージ)
基図はDM(デジタルマッピング)データ(千葉市及び八千代市提供)
高津土塁の範囲は柏井小学校だけでなく、周辺住宅地も含む範囲となっています。
高津土塁に含まれる範囲の住宅地を歩くと、宅地開発されたにも関わらず、防衛線としての小土塁の存在を認識できます。この付近の宅地開発は初期の小規模開発であり、地形を大幅に改変されることなく行われたために、そうなったのだと思います。
つづく
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