私の散歩論

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2013年9月30日月曜日

ブログ記事作成の舞台裏 失敗体験

1 旅行先でブログ記事を書くことにする
20139月下旬に旅行に出かけました。

旅行中もブログ記事をアップしようとして、事前に記事を用意しようとおもっていたのですが、いつもの実行力のなさで、結局なにも準備できませんでした。

仕方がないので、旅行中に記事を書くことにして、記事に使う汎用写真だけは用意して旅行に出発しました。

できれば、2013.09.20記事「芦太川谷津の仲東谷津合流部における横ずれ」に続いて、花見川流域の小崖地形シリーズ記事を継続してアップしたかったのです。
しかし、小崖地形記事を書くためにはGISを使い、いくつかの資料・図書の閲覧も必要となり、さらに説明画像をイラストレーターでつくり、フォトショップでブログ用に調整することも不可欠となります。

旅行に持参するのはタブレットパソコンであり、GISもイラストレーターもフォトショップも入れていないので、小崖地形関係の記事作成はあきらめました。

「人工河川から地峡河川へ」というテーマについてなら、文章だけで記事をつくることが可能だと思い、数枚のカット用汎用写真を持参して旅行に出発した次第です。

2 記事ストーリー作成は快適に進む
記事のストーリーは乗り物での移動中を中心に、いつも使っているメモ帳と極太6Bシャープペンシルで、気がついた時にメモしました。

いつもと違った環境の中で刺激が多いせいか、メモは順調に貯まりました。

いつしか大論文の様相を呈してきています。

書斎に坐っている時よりも散歩中の方が思考の視野が広くなり、わくわくするような発想にたどりつくことが多いです。

旅行中は散歩よりさらに自由な発想を得られます。このような体験は以前からしていて、期待通りでした。

「メモに従い大論文を書き、それをいくつかの記事に分割してアップしよう」などと取らぬ狸の皮算用までしてしまいます。

3 日本語入力がままならないという思わぬ失敗体験
しかし、実際にタブレットパソコンに向かい、記事を書きだしてみると、日本語入力がままならないという思わぬ伏兵に出会い、記事アップは難渋しました。

タブレットパソコンで日本語を入力する際に、思ったようなスピードが全くでません。

小型キーボードのタッチそのものも正常にできないような感じです。いちいち強く押さないと情報が伝わらない・・・。
小型キーボード、マウスとタブレットの通信状態も不調で、連打など夢のまた夢です。

しかたがなく、タブレット画面にキーボードを呼び出し入力を始めたのですが、ある時から突然に「IMEが無効」になってしまいました。日本語はおろか、数字やアルファベットまで入力できない始末です。
(「IMEが無効」はウインドウズ8のバグのようです。調整すれば治るとは思いますが・・・)

仕方がないので、小型キーボード、マウスをふたたび使うと、IMEは有効になるのでそれで文字入力をしました。しかし、イライラしながら手書きよりはるかに遅いスピードでの入力となってしまいます。昼間の豊かな発想も、タブレットの前で萎んでしまいます。

パソコン入力がほとんどできないという理由から、大論文(?)がいつの間にか、簡潔な1編のメモになってしまいました。
入力の分量を最小限にするために、文章を要約・圧縮するという退化的発想のとりこになっていしまいました。

このようにして、旅行中に書いてアップしたのが2013.09.25記事「人工河川から地峡河川へ」です。

日本語入力(というか、文字入力一般)にこんなに難渋したのは初めてです。

普段タブレットパソコンを使うことは少ないので、いわんや文字入力することはほとんどないので、いざというときに使いこなせなかったというお粗末な失敗体験です。

旅行先ホテルのWi-Fiは無料で使えるところが多く、自分のブログを含めてインターネットは自由に閲覧できるのですが、字が書けないという基本的な障害に愕然とした次第です。

旅行に持参したタブレットパソコン

4 フォロー記事を作成して現在システムの価値に気がつく
2013.09.05記事「人工河川から地峡河川へ」だけではメモそのものであり、自分の話したいことが読者の方に伝わらないと思い、旅行後にフォロー記事として、2013.09.28記事「人工河川から地峡河川へ その2」、2013.09.29記事「人工河川から地峡河川へ その3」を書きました。

フォロー記事を書いてみて、書斎にあるデスクトップパソコンの日本語入力や画像作成における高能率性を、改めてかみしめることができました。デスクトップパソコンとそのインターフェイス、もろもろのソフトが自分の生活にとって価値ある貴重なものであることを意識することができました。

旅行中の出来事により、デスクトップパソコンシステムの使い勝手をさらに向上させ、それを使い倒していこうと強く思うようになった、今日この頃です。

タブレットパソコンには時間をあまりかけないで、正常に使えるように整備して、次の外出の際には有効活用できるようにしたいと思っています。
キーボードはコンパクト性に目を奪われて、使いにくいものをつかんでしまったという誤りを反省して、次からはカバンに入る最大の大きさのものを用意し、入力のしやすさを最優先する予定です。


2013年9月29日日曜日

人工河川から地峡河川へ その3

前々報(2013.09.25記事「人工河川から地峡河川へ」)と前報(2013.09.28記事「人工河川から地峡河川へ その2」の記述事項に関連して、「地峡」の説明地図を掲載します。

次の図は吉田東伍著「利根治水論考」(明治43年)掲載地図「衣河流海古代(約千年)水脈想定図」に花見川(戦後印旛沼開発事業で勝田川と高津川を追加合流する前の元祖花見川)と平戸川の位置および別掲の地形段彩図の範囲を点線で追記したものです。

吉田東伍著「利根治水論考」(明治43年)掲載地図「衣河流海古代(約千年)水脈想定図」、情報追記

吉田東伍は、太日川(江戸川)を除くと、東京湾水脈と衣川流海(キヌガワナガレウミ)水脈が近接する場所は、花見川と平戸川が近接する場所しかないことをこの図で表現しています。

花見川という河川はこのように特別な地勢上の意味を有する河川です。

花見川は、乱暴で粗野な検討で「台地を開削してつくった人工放水路だ」と定義づけてしまい、それで工事をしてもよいような河川ではないのです。

花見川は、水系としては小さいけれど、河川争奪により印旛沼水系の一部を取り込んで印旛沼水系の流域に楔のように張りだした流域を持つ、東京湾水系の特異な河川です。

次の図は花見川と平戸川が谷中分水界で接していた場所付近の現在の地形段彩図です。

地形段彩図

この地形段彩図を基図に、縄文海進ピーク時の海面の分布と二つの海に流れ込む河川、その河川が1点で接する谷中分水界の位置を記入してみました。

縄文海進ピーク時の花見川地峡の様子

この図に示したように、地形を大局的に見ると、香取の海と東京湾の間に狭い陸部(台地)が存在していると捉えることができます。つまりこの付近で2つの海を隔てる陸部が狭まり、地峡を形成しているのです。

この地峡を花見川地峡とこのブログでは呼んでいます。

この花見川地峡は平戸川水系と花見川水系の2つの河川によって谷津が刻まれ、その2つの河川(谷津)が1点の谷中分水界で接するという大変特異な地形で構成されています。

この地図を模式的に表現すると次の図になります。

花見川地峡の模式イメージ

花見川地峡の存在、及び花見川地峡の特異な地形の存在のために、先史時代から人々は香取の海と東京湾の交通をこの地峡を通っておこなってきました。

縄文時代における花見川地峡の交通は、縄文時代遺跡分布等から推察できます。(本ブログ記事)
弥生時代における花見川地峡の交通存在は、土器様式分布等から研究されています。(田中裕:国家形成初期における水上交通志向の村落群-千葉県印旛沼西部地域を例として-、海と考古学、海交史研究会考古学論集刊行会編、2005
古代における花見川地峡の交通存在は、東海道水運支路の検討が行われています。(本ブログ記事)また貝塚の貝殻の分析から研究されています。(「八千代市の歴史」(八千代市発行))

このように、一般にはあまり知られていませんが、花見川地峡というものが存在するとともに、その幹線交通路の歴史が中世まであったのです。
そして、近世になって、印旛沼堀割普請、戦後は印旛沼開発事業があったのです。

さて、花見川地峡の自然史と地勢、二つの海を結ぶ交通の歴史を俯瞰してみると、花見川を「地峡河川」として捉え、そこに生じる特殊な社会要請に応えるべきであるとして、そのあるべき姿を検討することが良い結果を生むに違いないと考えられます。

一方、花見川を、印旛沼堀割普請と戦後の印旛沼開発事業における土木工事の側面にだけ焦点を当てて、狭い視野から「人工河川」と捉えてしまうことは、ものごとを矮小化してしまう思考です。バランスを崩した跛行的な思考です。それは、問答無用に特定要請に応えようとする時代錯誤的な思考であり、良い結果を到底生むことができません。

おわり

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2013.09.25記事「人工河川から地峡河川へ」、2013.09.28記事「人工河川から地峡河川へ その2」、2013.09.29記事「人工河川から地峡河川へ その3」をサイト「花見川と河川整備計画」に収録しました。
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2013年9月28日土曜日

人工河川から地峡河川へ その2

前報(2013.09.25記事「人工河川から地峡河川へ」)で文章で述べたことを図解してみました。

「人工河川」定義の背景となる基本情報

「地峡河川」定義の背景となる基本情報

行政文書における花見川に関する公式定義「人工河川」が貧弱な情報に立脚していて、明るい未来を展望できないことと、「人工河川」という用語があたかも一般名詞のように使われていて、違和感を感じることが少ないので(つまり定義の裏に隠された意図を普通の思考ではほとんど誰も見抜けないので)、このような図解をしました。

この図解により、「人工河川」定義が花見川の特性を表す基本情報を決して網羅するものではないことと、花見川の特性を表す基本情報を網羅して川づくりを考えた場合、「地峡河川」という表現がふさわしいという、「人工河川」に替わるべき用語を提案しています。


つづく

2013年9月25日水曜日

人工河川から地峡河川へ

花見川特性を構成する基本情報(メモ)

花見川の特性を構成する基本情報を次のように考えます。

1 河川争奪地形
●花見川が全国的に見ても特異な河川争奪地形の舞台となっているという、自然史的特性(地学的特性)。
花見川の河川争奪により、この場所に香取の海と東京湾を結ぶ地峡が出現しました。
この基本情報なしに花見川の特性を把握することはできません。

2 先史時代からの幹線交通路
●花見川が縄文時代、弥生時代、奈良・平安時代、中世の全ての時代にあって、香取の海(利根川水系)と東京湾水系を結ぶ幹線交通路であったという歴史的特性。
特に、奈良時代には東海道水運支路が花見川と平戸川を結ぶ筋に建設されていました。
先史時代から中世にいたる時代に、二つの海を結ぶ幹線交通路機能が実在したという歴史を知ること無しに、花見川の特性を把握することはできません。

3 印旛沼堀割普請、印旛沼開発事業
●花見川が近世に印旛沼堀割普請の舞台であったこと、現代において印旛沼開発事業が行われたという土木的、社会開発的特性。
この特性を知ること無しに花見川を知ることはできませんが、この特性は小学校社会科副読本にも記述されていて社会的に周知されています。

4 利根川放水路機能の要請
1000m3/sの規模の利根川放水路機能の要請があるという治水上の特性。
この治水上の要請は、20037月に数十年先まで見通して、無くなりました。

5 利水、環境上の要請
●利根川と東京湾を結ぶ舟運路の開発、エコロードの形成などの社会的要請・期待があるという特性。
この社会的要請・期待は、その重要性にも関わらず、あまり議論されていません。

基本情報3と4だけに立脚すると花見川は「人工河川」であるという定義になってしまっても不思議はありません。
基本情報1~5に立脚すると花見川は「地峡河川」であるという定義にすると自然です。合理的です。

2013年9月20日金曜日

芦太川谷津の仲東谷津合流部における横ずれ

花見川流域の小崖地形 その27

海老川乱歩さんから2013.09.15記事「花島断層の水平移動成分は130mもある」に次のコメントがありました。
………………………………………………
海老川(Ebigawa) 乱歩(Ranpo) です。

いやーこの発見は素晴らしいです。
小生もこの領域の、Google map や、国土地理院の空中写真を見ても発見できなかったので、
クーラーさんの地道な調査の成果だと思います。

しかし、このまま素通りはできません。

2012714日土曜日」の記事で芦太川のずれの距離は、約50m前後のはずです。
この記事では、柏井断層の水平移動成分は、芦太川筋では約150mのズレと記述しています。
この違いの検証は省略すべきではないと思います。

ずれが、約50mから約150mになった原因を説明して頂けないでしょうか。

お願い致します。
………………………………………………
ずれの認識が約50mから約150mに変わった理由を説明します。

1 間違った横ずれの認識
2012.07.14記事「海老川乱歩さんの大発見(!)」では横ずれを次のような方法で計測していました。

まちがった横ずれの計測

米軍空中写真で観察できる芦太(あしだ)川水路のずれが50mあるので、それが断層の横ずれであると考えていました。

これは完全なる間違いでした。一般論として、地史的な時間を考えると水路は谷底の中を曲流しながら絶えず移動しています。従って水路のカーブを断層の横ずれの指標とすることはできません。20127月にはこのことに気がついていませんでした。

断層横ずれの指標は同じ年代にできたと考えられる地形や地層の横ずれです。

2 芦太川谷津の横ずれ
次の地図は芦太川付近の旧版1万分の1地形図です。

旧版1万分の1地形図

この地図に芦太川谷津の横ずれを書き込んでみると次のようになり、その値は約150mです。

芦太川谷津の横ずれ
基図は旧版1万分の1地形図

ちなみに、仲東(なかひがし)谷津は断層(柏井断層)線に沿って発達した浸食谷であると考えています。

この芦太川谷津の横ずれ情報を現在の地図に投影すると次のようになります。

芦太川谷津横ずれ情報の現代地図投影
基図は標準地図(電子国土ポータルによる)

なお、150mもの横ずれは当然ながら花見川谷津筋もずらしたのですが、東京湾水系花見川の侵蝕作用と人工改変により地形から横ずれを計測することは、今の調査段階では、できません。
逆に、150mの横ずれを前提にすると、現在の地形の有り様を合理的に解釈できます。

つづく



2013年9月19日木曜日

トイラジコンヘリのテスト

突然ですがトイラジコンヘリのテストをしましたので報告します。

1 はじめに
当方は地形に興味があり、現在小崖地形について記事を書いています。そうした中で、現場ではその地形を自分は理解できるけれど、地上写真にそれを表現できないということが多々あります。
そんな時、自分で斜め空中写真を自由に撮影できればどんなに良いことだろうと考えきています。
一方、発掘調査等でラジコンヘリが使われることも多くなりました。
専門航空撮影会社に依頼するのではなく、調査員が自分でラジコンヘリを扱っている場合も最近では多いようです。
そんな中で、いつか個人でラジコンヘリを使って調査できないものだろうかと考えていました。

そんな時、このブログにコメントをいただいている海老川乱歩さんから「面白いラジコンヘリの情報がある」というメールをいただきました。

値段も格安であり、初回飛行で大破しても活動意義はあると感じましたので、早速そのトイラジコンヘリを購入し、テストしてみました。

このトイラジコンヘリのテストで、個人による空中写真撮影の実用化をどのように進めたらよいか、情報を何か得ようとしました。

2 トイラジコンヘリの仕様
トイラジコンヘリの姿と仕様等は次の通りです。広告や箱にはジャイロスコープ搭載と書いてあります。中国製、約5000円で購入。

ラジコンヘリ

ラジコンヘリの仕様

3 テスト
次は、最初のテスト飛行の映像です。トリム調整が出来ていないので、回転してしまっています。カメラは水平方向にセットしています。

最初のテスト飛行
最初のテスト飛行は広い場所で、何しろ本当に飛ぶのか、試したものです。
ゲーム機操作などしたことが無いので、指先の反射神経が鈍いこともあり操作には自信はありませんでしたが、飛びはしました。
ただ操作場所からヘリが上方あるいは水平方向に10mほど遠ざかると赤外線が届かなくなり墜落してしまいます。

次は、実際に写真を撮りたくなるような現場に出かけてテストしました。カメラは下方にセットしています。

2回目のテスト飛行
2回目のテストは指先も少し慣れてきていて、ヘリの操作も思った以上に自由になりましたが、飛行できる範囲が限られていることが大きなネックです。
1回目、2回目の飛行で何十回も地上に激突しても壊れないヘリに感心しました。

4 考察
トイラジコンヘリを飛ばしてみて、次のような思考をしました。

 例えば、「今いる場所を5m上から写真撮影する」などの限定された対象物の場合にはトイラジコンヘリも有用な撮影道具になる。(今回使った機種より上級のものが必要だろう)

 50m程度離れた所まで操作できる高級機を使えば、ある程度自分の思う通りの空中写真が撮れそうである。

 飛行の操作に習熟するために一定の経験が必要である。それは、時間と経費を投入すれば可能であると直感する。
ただ、それだけの時間と経費に見合った、価値ある情報(空中写真)の必要性が生じていなければ、意味がない。いまのところそこまでの空中写真撮影意欲はない。

 機体が大型化して、トイと言えなくなると安全性やプライバシー等の問題が発生する。人家に遮られて、地形の様子の写真を撮れないことが多いが、そのような場所でのあいまいなラジコンヘリ活用は困難のようだ。

 バルーンを使ったり、長い竹竿の先にカメラを取り付けて写真撮影するなど、ラジコンヘリにこだわらない方法も撮影対象地形によっては検討する価値がある。カメラを三脚に取りつけ、揃えた三脚の足を手で持って頭上に掲げるだけでも、普段撮れない写真が撮れることに気がついた。

ということで、ラジコンヘリによる空中写真撮影を自分の仮想道具として道具箱にしまっておき、その必要性が生じた時、実用化を図りたいと思います。

ラジコンヘリ情報を送っていただいた海老川乱歩さんに感謝します。


2013年9月18日水曜日

ヒガンバナ

916日は台風で荒れた天気でしたが、17日、18日と冷涼で快晴の早朝散歩を楽しんでいます。

季節を忘れて咲いている朝顔

クズの3つ葉の中で咲いているヒガンバナ

ヒガンバナ

空が青いので、空を二分する飛行機雲が印象的です。

花見川流域上空の飛行機雲

花見川流域上空の飛行機雲


2013年9月17日火曜日

マユのツバは拭いてください(千葉市内断層横ずれ130mは真)

花見川流域の小崖地形 その26

千葉市の市街地に縦ずれ3mもの断層があり、その横ずれは130m以上あるという観察をこのブログで記事にしています。

縦ずれ3mは小崖地形が現地にあり、ボーリング資料で地層のズレを示しているので、読者の方には理解していただいていると思います。

横ずれ130m以上はマユツバものの情報であると半信半疑の方もいらっしゃのではないでしょうか。

この記事で、マユのツバを拭いていただければ幸いです。

D地区(花見川東岸の千種町や三角町付近)の印旛沼水系谷津の横ずれが130m程度あり、同じような横づれがC地区(花見川西岸の花見川、作新台、長作台付近)にあるか、芦太川の谷津を対象に検討します。

1 これまでの検討
次の平面図とボーリン資料はこれまでの検討結果です。

20134月における花島小崖(花島断層)の理解
基図は千葉市都市図(1960年測量、千葉市立郷土博物館提供)

ボーリング資料

花島小崖の分布イメージを明らかにし、その小崖地形と地層のズレが対応していて、確かに断層があり、小崖は断層崖であることを理解しました。

この情報に間違いはありません。
この情報に次の情報を追補します。

2 芦太川谷津谷底の横づれ
次の平面図はこの付近が開発される前の1960年に航空写真測量された地図です。
谷津の形状を理解しやすくするために標高24m26m等高線を強調しました。

千葉市都市図
1960年測量、千葉市立郷土博物館提供

この地図をよく見ると谷中分水界付近(道路が放射状に延びている付近、※)の地形が異常であることに気がつくと思います。

※ 谷中分水界そのものの検討は2011.12.28記事「谷中分水界の発見」など多数

地図の上から下に芦太川谷津に沿って視線をたどると、谷中分水界付近で谷津の前に谷壁が立ちはだかって蓋をされてしまっているように見えます。
不思議な地形であることは感じていましたが、どうしてそうなのか、これまで理解できませんでした。

しかし、芦太川を横切る断層があり、その横づれが130mあるはずだという情報を念頭にこの異常な地形を眺めると、次のような地形であることが理解できました。

芦太川谷底の横づれ
基図は千葉市都市図(1960年測量、千葉市立郷土博物館提供)

芦太川谷津の谷底が横づれしているから、このような異常な地形がうまれ、谷中分水界が生じたのです。
横づれは約140mですから、D地区で得た横ずれ成分の値130mと整合的な値です。

花島断層の横づれ成分が130mとか140mとかの値であることはこれで間違いのない情報になったと思います。

参考までに、千葉市都市図に現在の地形段彩図(開発後の現在の地形)をオーバーレイして表示すると次のようになります。

参考 千葉都市図に地形段彩図をオーバーレイした地図

この地図からも芦太川谷底の横ずれを直感的に理解していただけると思います。
(現在の地形段彩図がどの程度開発前地形を表現しているものか十分わからなかったのですが、団地開発等による地形改変は、断層横づれを消し去るような大規模なものではなかったようです。)

3 花島断層の理解
さて、横ずれの存在は分かったのですが、縦づれの断層線ルートとこの横づれのルートは約250m離れます。

この断層線ルートが複数あるということは、以前から想定していましたが(※※)、思考を複雑化しないために、当面する思考では略してきていました。

※※ 2012.02.09記事「小凹地列状分布と小崖1の解釈」参照

しかし、断層線ルートが複数あるという情報が確かに突きつけられたので、これからは思考の範囲内に含めていくことにします。

花島断層の縦ずれと横ずれのルートが違うという現実の情報を次の図のように理解します。

花島断層の理解(2013.09.17
基図は千葉市都市図(1960年測量、千葉市立郷土博物館提供)

縦ずれに特化した断層ルートと横づれに特化した断層ルートが分岐してしまった部分が生まれているという理解です。

この理解を標準地図に投影すると次のようになります。

花島断層理解の標準地図投影
標準地図は電子国土ポータルによる

マユのツバは拭いていただけたでしょうか?

つづく