花見川流域の小崖地形 その29
D地区の小崖の微地形について検討してみました。
1 重ね合せ図の作成
現代の地形を表す地形段彩図に大正6年測量の旧版1万分の1地形図を重ね合せた地図をつくり、小崖地形(断層地形)の微地形について検討してみました。
この地図は現代の地形のうち、どの部分が人工改変されているのか判断がしやすいので、微地形の検討にはもってこいの材料です。
微地形の検討に用いる重ね合せ図
地形段彩図(基盤地図情報5mメッシュ(標高)を用いて、地図太郎PLUSにより作成。陰影レベル、高さの倍率を強調している。)と旧版1万分の1地形図(「三角原」、「大久保」、ともに大正6年測量)
この重ね合せ図の範囲を現代地図で示して、位置関係をわかるようにしました。
微地形検討した範囲の現代地図
標準地図(電子国土ポータルによる)
2 印旛沼水系谷津の小崖を挟んだ対応関係の情報追補
花島断層の水平移動成分の検討
基図は旧版1万分の1地形図(大正6年測量)
この検討内容に加え、図中4の谷津の支谷のように見えていた谷津(4´とする)について、新たに対応関係を加えます。
今回再検討した谷津の対応
谷津4´は谷津4に小崖の南側で合流している形状ですが、この形状は断層運動によって2次的に形成されたもので、元来は断層運動前には4´と4は並行して流れ、小崖の北側で合流していたと考えました。
その詳細は追って別記事で説明します。
3 小崖下の凹地地形の意味
花島小崖の崖下に列状に凹地が見つかります。
同様の列状凹地は道路沿いにもみつかります。
崖下や道路沿いの凹地
この凹地は、周辺の宅地の盛土による嵩上げが進み、もともとの地形面がここだけ残り、見かけ上凹地のようになったことが現場観察から判りました。
花島小崖の下(南側)の土地は、巨視的に見れば下総上位面に属するれっきとした台地地形上なのですが、断層崖下のため湿潤な環境となっていて、都市的土地利用をする際には盛土が盛んに行われました。
土地開発は戦後開拓で道路をつくって農地開発を行い、ついでその農地がスプロール的に宅地に変更になったため、当初の道路の敷高は地形面とあまり変わらず、幹線道路を除くと、狭い道路ほどあたかも過去の地表面の高さの指標のような役割をはたしています。
幹線道路は改築の度に十分に盛土され、建造物敷地はその道路面に対応して盛土されます。
4 印旛沼水系谷津の縦断形
印旛沼水系谷津1~3の縦断形について検討します。
印旛沼水系谷津1~3の縦断形線の位置
印旛沼水系谷津1(A-B)の縦断形
A-ア間は東京湾水系谷津の侵蝕範囲です。
ア-イ間は印旛沼水系谷津の本来の縦断勾配に近い姿を表現しているものと考えます。
イ-ウで標高が2m程高まり、小崖の崖下まで続きます。このテラス状の土地の高まりは次のC-D断面の結果とも合わせて考えると、全て盛土によるものではなく、基本は地殻運動による結果であると考えます。
ア-イ間と比べて、イから小崖の下までの区間が隆起していると考えます。
C-オ間は東京湾水系谷津の侵蝕範囲です。
直線オ-カ-キは印旛沼水系谷津の縦断形状を表現しているデータであると考えます。
直線オ-カは印旛沼水系谷津の本来の縦断形状に近いものであり、直線カ-キは地殻ブロックの傾動の影響を受け、谷津勾配が本来あるべき北北東に向かって下がるというものと逆転している状況を表現しています。
印旛沼水系谷津3(E-F)の縦断形
E-コ間が東京湾水系谷津の侵蝕範囲です。大規模な盛土が行われ、谷津の形状が判りづらくなっています。
コから小崖下までの印旛沼水系谷津の縦断面形状は盛土の影響で判然としません。
5 縦断形状の検討から判ったこと
5-1 小崖全面のテラス状隆起地形
花島小崖の前面(南側)に花島小崖につられて隆起したテラス状の地形があることがわかりました。
このテラス状の地形は南方向に落ちるような傾動をしています。
テラス状隆起地形のイメージ
5-2 印旛沼水系谷津を加速浸食する様子がわかる
A-B断面、C-D断面では東京湾水系谷津は印旛沼水系谷津の侵蝕をまだはじめていませんが、E-F断面では印旛沼水系谷津をなぞる様に東京湾水系谷津が侵蝕しています。
その侵蝕の様子は縦断面形状から明らかなように、えぐり取るように加速侵蝕しています。
ここで示されているのはミニチュアのような河川争奪現象です。
私は河川争奪の胚と呼んでいます。
この現象の大規模なものが、花見川で生じ、花見川は印旛沼水系谷津の流域に楔のように食い込むことになりました。
つづく
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