私の散歩論

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2013年12月31日火曜日

大晦日の夜に1年をふりかえる

このブログの1年を、大晦日の夜に、数時間早いお屠蘇をなめながらふりかえります。

1 経緯
1月はブログのアーカイブを作成することに熱中していました。掲載順を逆にして、動的ビューでテーマ別のアーカイブを作成しました。
また、ブログ記事を冊子にまとめることを構想しました。

23月には立川断層トレンチの見学を行い、刺激を受け、花見川の断層地形に対する興味を深めました。

4月には小崖地形のシリーズ記事をスタートさせました。このシリーズは現在もまだ続いています。

5月には海老川乱歩さん提供の情報をきっかけにして、鉄道連隊の橋梁建設のシリーズを掲載しました。
また、戸地名の検討をスタートしました。
さらに、花見川河川行政に関する千葉土木事務所とのやりとり記事を掲載しました。
上ガスを初めて観察したのも5月です。

6月には戸地名検討を深め、海夫注文なども検討しました。

78月には古代官道跡仮説、柏井が杵隈であり駅家であるとする仮説、高津土塁仮説など、花見川地峡付近の古代(奈良時代)の実証的検討を深めました。

9月にはふたたび花見川河川行政に関する千葉土木事務所とのやりとり記事を掲載しました。
同時に、小崖地形の検討を本格化させました。
地峡河川という概念についても記事にしました。

10月には小崖地形の検討を深めるとともに、台風時の大和田機場からの120m3/s放水を記事にしました。

11月には小崖地形を褶曲変位地形の部品として捉えるようになり、また5mメッシュを広域利用するようになり、地形検討のレベルが1段アップしました。それだけ地形検討に熱中するようになりました。

12月には、レーキ状地形検討に熱中し、さらに印旛沼筋の地形検討に熱中しました。(現在進行形です。)

2 感想
地形検討は「地形学」として面白いので、純粋趣味として熱中しています。
5mメッシュ、GISGoogle earthなどの情報・ツールが趣味熱中を加速しています。
すこし専門的領域に入っているので、「ブログ」記事にはそぐわないかもしれませんが、これが自分のテイストですので、ご容赦ください。

花見川流域から千葉県北部一帯に地形検討を拡げて、よかったと思っています。次の地名検討や古代史検討の基礎を築くことができます。

地名検討、古代官道と関連遺跡検討はこれまでの千葉県北部の歴史記述を変えるだけの大きな材料を得たと実感しています。今後、仮説の検討を深めて、世に問うていきたいと思っています。

千葉土木事務所さんと花見川河川行政に関してやりとりしていますが、業務多忙の千葉土木事務所さんが個人の私に丁寧に対応していただいているので、感謝しています。

花見川に対する考え(哲学)は千葉土木事務所さんと私では根本的に異なります。

来年は、このブログを通じて、今年以上に趣味活動を加速したいと思っています。

来年もよろしくお願いします。

よい年をお迎えください。

3 参考
2013年記事でアクセスの多かった上位10記事

5位 2013.08.03記事「高津土塁裾部の地質
7位 2013.06.18記事「香取の海付近における古代の交通
8位 2013.05.01記事「鉄道連隊の花見川架橋作業の紹介
9位 2013.02.08記事「立川断層トレンチの見学
10位 2013.04.13記事「花見川団地付近の地形

私がワクワク、ドキドキして書いた記事とこのアクセス上位10記事とが微妙に異なるので、その差異に興味を持ちます。

なお残念ですが、bloggerの仕様変更があったようで、4位 2013.02.01記事「このブログを動的ビュー(Dynamic Views)で表示する」において、動的ビュー表示ができなくなりました。


今朝の花見川

2013年12月30日月曜日

谷津の冷気

今朝の冷え込みの中で、誰かが物を燃やした煙が谷津の中に閉じ込めれて、水平層になっていました。

以前は野外で物を燃やすことが普通だったので、谷津の最上部(台地面の高さ)に煙が水平にたなびく様子は冬の風物詩でした。

煙の温度が谷津内の冷気と同じ温度になり、その上の相対的に暖かい空気の下に滞留しているものだと思います。

柏井町の後谷津付近
重機は柏井橋架替工事のために置かれたもの。

同上

花見川の竹林に霜が降りて白くなっていました。


霜が降りた花見川

2013年12月29日日曜日

印旛沼筋下総下位面の横断形の考察 八千代市米本付近

花見川流域の小崖地形 その865mメッシュDEM図を読む 25

2013.12.24記事「印旛沼筋下総下位面の横断形」を出発記事とする流れのつづきです。

なお、米本はヨナモトと読みます。

3 横断図の考察
3-3 断面図7
●印旛沼筋(本川筋)の南岸には下総下位面エ面が拡がりますが、北端にウ面と考えられる地形面が帯状に分布します。エ面とウ面の比高は4m程です。

●新川(平戸川)の上流に拡がる下総下位面はエ面と比べてその標高が低くなっています。エ面の上流に位置する地形面の標高が低いのですから、別の地形面と考えてよいと思います。暫定的にこの地形面を下総下位面カ面と呼ぶことにします。カ面と下総上位面との比高は2m程です。

●エ面、カ面、ウ面の順に標高が低くなっていて、特にエ面を切ってウ面が分布することから、下総下位面というものは、その時代の河川によってつくられた数段の段丘面の総称として理解することがふさわしいと思います。

●印旛沼筋(本川筋)北岸には下総上位面が拡がりますが、浸食が激しい地形、顕著な帯状凸地形、平面形状がオタマジャクシ状の凹地地形が分布します。地殻変動が表現されているものと考えますが、これらの興味をそそる地形は改めて集中的に検討したいと思っています。

断面図7の考察

参考 地形段彩図のGoogle earth表示

断面図7付近(八千代市米本付近)の地形段彩図のGoogle earth表示

断面図7付近(八千代市米本付近)の地形段彩図のGoogle earth表示
地形段彩図(半透明)と空中写真のオーバーレイ表示

断面図7付近(八千代市米本付近)のGoogle earth表示

参考 断面図7付近(八千代市米本付近)の標準地図のGoogle earth表示
標準地図は電子国土ポータルによる

さて、こうした作業をするなかで、思考の量が増大して、あれこれの検討をして、少しづつ確からしさのある地形解釈仮説に向かうステップが進んでいます。

次の図は、現在の思考の途中経過を記録したものです。確信のもてるような、蓋然性の高い仮説が持てるようになるまでの1ステップの記録です。

思考の途中経過(2013.12.29


この思考途中経過に関する検討を次の記事で行います。

2013年12月28日土曜日

増殖するモグラ塚

私の散歩道にある畑(牧草畑)のモグラ塚が12月に入って急激に増殖しています。
日当たりのよい場所で、土壌も肥えているので、ミミズなどの土壌生物が豊富なのだと思います。
                                                 
モグラ塚が耕耘跡(凹地)に沿って増殖する様子から、土壌が柔らかい場所にミミズや昆虫が多く、そこにモグラの穴(罠)が張り巡らされているのだと想像しました。

モグラ塚 129日早朝撮影

モグラ塚 1228日午後撮影
写真に写っている範囲で、モグラは2~3匹くらい生息しているのでしょうか?

モグラ塚 129日早朝撮影


モグラ塚 1228日午後撮影

2013年12月27日金曜日

船橋市の二重川河岸段丘等

花見川流域の小崖地形 その85 (5mメッシュDEM図を読む 24


1 新発見地形面の分布
新しい地形面を図上で発見したので、記録しておきます。

新発見地形面をこのブログでは仮称としてオ面(※)と呼ぶことにします。オ面は杉原(1970)では下総上位面に区分されている場所に在ります。

次にオ面の分布と断面図線の位置を示します。

オ面の分布と断面図線位置
基図は地形段彩図

参考 オ面の分布と断面図線位置
基図は標準地図
標準地図は電子国土ポータルによる。

2 断面図
次に断面図を示します。

2-1 断面図12
下総上位面一般面、オ面、下総下位面ウ面が階段状に分布しています。

下総下位面一般面とオ面の比高は約4m、オ面と下総下位面ウ面高所との比高は約3mです。

断面図12と考察

2-2 断面図13
二重川に分布する河岸段丘としてのオ面の縦断図です。

下総上位面一般面とオ面との比高は約3.5mあります。

この断面図でオ面と一番右の下総下位面ウ面の標高差は約1mであり、オ面と下総下位面ウ面がつながらないにしても、時間的に近似した時代に形成されたことを想像させます。

今のところは、オ面とした地形面と下総下位面ウ面とは断面図上ではつながらないと考えます。

下総下位面ウ面はその形成過程における浸食により、幾つかの地形面に細分して捉えることができるようです。

断面図13と考察

2-3 断面図14
二重川谷津の横断図です。
オ面が標高2324m付近に分布し、下総上位面一般面との比高は3.5m程あります。

杉原(1970)の地形分類図では二重川谷津に千葉段丘の分布が描かれていますが、この断面図では標高17m18m付近にその千葉段丘が認められます。

断面図14と考察

2-4 考察
以上3つの断面図から、これまで発見されていなかった顕著な段丘地形(オ面)の存在を確認することができました。

オ面は杉原(1970)で下総上位面の区域に入っているので、当面作業上は「下総上位面オ面」として扱って行きます。

感覚的には、オ面は下総下位面のグループに入れて考えた方が、地形理解が簡便になるのではないかと考えますが、オ面を下総下位面のグループに入れるべき証拠がないので、上記の扱いとします。

二重川谷津に分布するオ面の存在は、下総上位面が陸化した後(つまり下総下位面の時代頃)にそこに河川(谷津)が在ったことの証拠となります。

そのオ面が印旛沼筋下総下位面に沿って分布を広げています。(断面図12

この事実から印旛沼筋下総下位面は海の跡ではなく、河川(谷津)の跡であると考えることができます。

二重川谷津は下総上位面分布域から出て下総下位面分布域に出ると、その方向を北に転じます。近隣の谷津も同じ傾向を示します。
この谷津の方向変化は下総下位面に古河川が流れていた頃、その古河川は北西に向かって流れていたこと(現在の神崎川の方向とは真逆であること)を物語っています。

オ面の検討からも、印旛沼筋の河川の流下方向が、地史上のある時点で、真逆に変化したという常識を覆す一大ドラマ(河道逆行型河川争奪)の存在にたどりつきます。

3 参考 検討図のGoogle earth表示

検討図のGoogle earth表示

検討図のGoogle earth表示
検討図は半透明


検討図付近のGoogle earth表示

………………………………………………
このシリーズ記事では、新しく気がついた順に、地形面をア面、イ面、ウ面・・・とします。

地形断面図(縦断図、横断図等)も同様に掲載順に断面図1、断面図2、断面図3・・・とします。
………………………………………………

2013年12月26日木曜日

印旛沼筋下総下位面の横断形の考察 船橋市小室付近

花見川流域の小崖地形 その84 (5mメッシュDEM図を読む 23

2013.12.24記事「印旛沼筋下総下位面の横断形」、

3 横断図の考察
3-2 断面図6
●下総下位面ウ面の形状が神崎川を挟んで南岸と北岸で異なります。
下総下位面は神崎川南岸ではほぼ平坦ですが、北岸ではやや傾斜していて、南岸より標高が1mほど高くなっています。

下総下位面はある時代(専門書によれば5cステージ、OM1)面、約10万年前)の谷底平野であると考えられますが、この形状の差異は次の二つの理由のどちらかであると考えます。

1 本来平坦であった地形面が地殻運動の結果で南岸と北岸で形状の変化が生まれた。
2 南岸に流路があり、北岸は既に陸化していたという当時の地形が反映している。

私は、今の直感では、2がその理由であると考えています。

●下総上位面と下総下位面の境の状況が南岸と北岸で異なります。
下総上位面と下総下位面の境の状況は南岸では比高4m程の段丘崖となっています。北岸では比高の差はほとんどありません。千葉ニュータウンの造成によって地形の人工改変がありますが、地形段彩図からこの付近で、下総上位面と下総上位面の比高の差がほとんど無いことが判ります。

南岸の比高4mほどの段丘崖は一般的に見られるものです。下総下位面を流れていた河川の浸食作用で出来たものだと思います。

北岸で段丘崖が存在しない理由は、北からの浸食が激しく、下総上位面が本来の標高を保持できていないのだと想像します。

断面図6の考察

参考 地形段彩図のGoogle earth表示

断面図6付近(船橋市小室付近)の地形段彩図のGoogle earth表示

断面図6付近(船橋市小室付近)の地形段彩図のGoogle earth表示
地形段彩図(半透明)と空中写真のオーバーレイ表示

断面図6付近(船橋市小室付近)のGoogle earth表示

参考 断面図6付近(船橋市小室付近)の標準地図のGoogle earth表示
標準地図は電子国土ポータルによる

未知の地形
さて、ここまで作業してきて、次の未知の地形を見つけ出しました。
杉原(1970)では下総上位面とされている場所に、下総上位面を削る明瞭な段丘地形が存在します。
この未知の段丘地形は、二重川の谷津では河岸段丘として発達します。
次の記事で、この未知の河岸段丘地形について検討してみます。


未知の段丘地形

2013年12月25日水曜日

印旛沼筋下総下位面の横断形の考察 白井市工業団地付近

花見川流域の小崖地形 その83 (5mメッシュDEM図を読む 22

2013.12.24記事「印旛沼筋下総下位面の横断形」のつづきです。

3 横断図の考察
3-1 断面図5
●下総下位面がのこぎりの歯のような形状になるような地殻変動を受けている
イ面は平坦ですが、ア面は金山落を挟んで二つの面が傾斜して相対的に隆起しています。
下総下位面が形成された当時はこの付近は海に近い場所だったので、流れ方向がどちらを向いていたとしても平坦であったことは間違いないと思います。
その平坦であった地形面をこのように変位させた地殻運動について認識を新たにします。
このような激しい地殻運動が当たり前のものとして認識して、これからの検討を進めます。

●金山落の谷津は地殻変動の結果できた湾曲分布する崖下低地に沿って発達した構造起因の谷津です。

●下総上位面と下総下位面の境の比高10mに及ぶ崖は活断層崖と呼んでよいと思います。
この付近は下総下位面の沈降が最も激しい地域ですが、その場所で局地的活断層が下総上位面と下総下位面の段丘崖に重なったために、比高の大きな崖が出来たものと考えます。

断面図5の考察

参考 地形段彩図のGoogle earth表示

断面図5付近(白井市工業団地付近)の地形段彩図のGoogle earth表示

断面図5付近(白井市工業団地付近)の地形段彩図のGoogle earth表示
地形段彩図(半透明)と空中写真のオーバーレイ表示

断面図5付近(白井市工業団地付近)のGoogle earth表示

参考 断面図5付近(白井市工業団地付近)の標準地図のGoogle earth表示
標準地図は電子国土ポータルによる
(2013.12.26追記)

工業団地造成など人工的な地形改変はありますが、本来地形面の形状の大勢(傾向)は現状地形で把握できると考えます。