私の散歩論

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2014年1月4日土曜日

印旛沼付近下総下位面の横断形

花見川流域の小崖地形 その895mメッシュDEM図を読む 28

2013.12.24記事「印旛沼筋下総下位面の横断形」を出発記事とする流れのつづきです。

断面図の位置は次の通りです。

断面図の位置

3 横断図の考察
3-4 断面図8
●下総下位面は標高23m24m付近に分布しています。断面図7で確認したエ面より標高が低く、ウ2面より高いので、とりあえずク面として独立させておきます。エ面を浸食して形成された地形面であると考えられます。

断面図8の考察

3-5 断面図9
●エ面が2つに区分して捉えられますので、標高28m30mのエ面をエ1面、標高24m25mのエ面をエ2面と呼ぶことにします。エ1面は比較的平坦であり、エ2面はエ1面を河川浸食してできた谷底面です。

断面図9の考察

3-6 断面図10
●標高25m27mに地形面が拡がり、エ2面として観察しました。

断面図10の考察

3-7 断面図11
●標高30mにエ1面が、それを河川浸食して削った谷底の平坦面が標高25m付近にあり、エ2面としました。

断面図11の考察

4 断面811の考察
●印旛沼付近では下総下位面で最も標高の高いエ1面が出現し、それはエ2面によって削られていて、その比高は5mほどであることがわかりました。

●エ1面、エ2面の分布は断片的ですが、エ1面はかつては平坦で広がりがあった地形面であるように観察できます。流れの穏やかなあるいは流れのほとんどない環境で形成されたように想像します。一方、エ2面は河川浸食によるものであり、激しい下刻作用の存在を示しています。

●エ1面にどのような勾配があるのか、エ2面がどちらの方向に流れた河川によってつくられたものであるのか、掲載した断面図の比較だけでは分かりませんでした。今後調査ポイントを増やしてより緻密な検討を引き続き行う予定です。

●印旛沼付近では下総下位面(エ1面、エ2面)の分布は断片的であり、古平戸川筋(新川(平戸川)、神崎川沿)における下総下位面(ア面、イ面、ウ1面、ウ2面、エ面、オ面、カ面、キ1面、キ2面)の分布の拡がりと対照的です。

●これまで検討してきた断面図5~断面図18に出てくる沢山の地形面(ア面、イ面、ウ1面、ウ2面、エ1面、エ2面、オ面、カ面、キ1面、キ2面、ク面)の対比を行い、その区分の妥当性を検討するとともに、その関係について、引き続き詳細に比較する予定です。

●下総下位面といっても、それは単一の地形面ではなく、①地殻運動による変形で区分できる場合と、②切った切られたという浸食作用によって区分できる場合を含む、多様な地形面を含むグループの総称として認識することが大切であることが明白になりました。

参考 地形段彩図のGoogle earth表示

断面図811付近(印旛沼付近)の地形段彩図のGoogle earth表示

断面図811付近(印旛沼付近)の地形段彩図のGoogle earth表示
地形段彩図は半透明

断面図811付近(印旛沼付近)のGoogle earth表示


1 件のコメント:

  1. 下総下位面の時代には、古平戸川(新川(平戸川)→神崎川→手賀沼に流れた川)は側方浸食や堆積作用が優越する河川であり、鹿島川(恐らく現在と同じ流路方向で流れていた)は下刻作用が優越する河川であったと考えています。

    その理由はともに地殻変動によるものであると考えています。

    下総下位面の時代の終わり頃、鹿島川が古平戸川(が形成した湖沼)を河川争奪したものと考えています。

    なお、下総下位面の時代(10万年前)ではなく、下総上位面の時代(12万年前)には鹿島川は北西方向に流れ、古平戸川に合流していた地形証拠を見つけています。

    地殻変動がダイナミックな流域変更を起こしています。

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