シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討-
第1部 現代から縄文海進まで遡る その7
3-2 参考 縄文海進時の花見川地峡に関する既存文献の記述
参考として花見川地峡付近の縄文海進に関する既存文献の記述を紹介します。
ア 花見川筋
いろいろ調べたのですが、花見川筋については縄文海進に関する検討は、検見川の縄文丸木舟・大賀ハス発見時代(1950年代、1960年代)のものだけで、最近の検討については見つかりませんでした。
これは花見川筋が印旛沼堀割普請の現場であり、犢橋川合流部より上流については印旛沼堀割普請による改変が激しいため、地学関係者・自然地理関係者が花見川筋を検討対象に含めることを嫌ってきたためであると思われます。
社会が検見川の縄文丸木舟・大賀ハス発見に触発されていた時代につくられた縄文海進とその後の海退に関する中野尊正の古地理図を紹介します。
縄文海進最盛期頃を表現している古地理図(中野尊正(1956):日本の平野、古今書院)
塗色は引用者
縄文海進の海が花見川筋奥深くまで入りこんでいて、花島まで躊躇なく表現されています。図がそこで切れているのが残念です。
この古地理図は標高10mを境にして作成した海陸分布図と酷似しています。
標高10mを境とした海陸分布図
この古地理図を現代標準地図と大体あわせてオーバーレイすると次のようになります。
中野尊正古地理図と現代標準地図のオーバーレイ図
縄文海進の海退期を表現している古地理図(中野尊正(1956):日本の平野、古今書院)
塗色は引用者
海退期の海の分布の様子が表現されています。
縄文海進の海退期を表現している古地理図(中野尊正(1956):日本の平野、古今書院)
塗色は引用者
海退末期の様子が描かれています。
参考 検見川低地の地形学図(中野尊正(1956):日本の平野、古今書院)
検見川の縄文丸木舟出土ポイントを示した図です。
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