私の散歩論

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2014年4月5日土曜日

花見川地峡の利用開発の変遷についてイメージできるようになる

シリーズ 花見川地峡とは その5 (このシリーズ最終回)

花見川地峡が古代交通の要衝であったという仮説を構築することができたおかげで、かつて花見川に抱いていた単一の強いイメージ「印旛沼堀割普請」が相対的に一つの歴史構成部材になりました。

花見川に思いを馳せるべき歴史として、各時代に地峡という特性に人々がそれぞれの対応をした利用・開発活動が沢山あることに気がつきました。

花見川地峡は縄文・弥生の時代から、古代国家の時代を経て、中世・近世・近代・現代とそれぞれ時代の要請に応じて異なる利用開発がなされてきたことに気がつき、それぞれのイメージを持つことができました。

花見川地峡にかかわる利用・開発の例(ハマグリの古代物流ルート)

花見川地峡にかかわる利用・開発の例(牧と野の成立のおける境界機能)

花見川地峡にかかわる利用・開発の例(運河・放水路利用)

花見川地峡にかかわる利用・開発の例(陸軍演習場設置における境界機能)

ここに示した例は花見川地峡の利用開発の全てではありません。これ以外の項目も含めて総合的な観点から、あらためて別シリーズで詳細に検討します。


過去(歴史)から現在・未来に視点を移動すると、花見川地峡が社会の中で果たすべき機能の中で環境・レクリエーション面での意義が飛躍的に高まっていると考えます。

東京湾と利根川水系の生態系を結ぶ生態系回廊(エコロード)としての意義、東京湾と利根川水系を散歩・サイクリング・舟運等で結ぶ意義などです。

地峡の歴史遺産を学ぶ学習面での意義も大きなものがあると考えます。

環境・レクリエーション面での花見川地峡の利用開発保全のあり方についても、別シリーズで詳細に検討する予定です。


「シリーズ 花見川地峡とは」をこれで終了します。

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つづけて、「シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討-」を始めます。

その後「シリーズ 花見川地峡の利用・開発史」、「シリーズ 花見川地峡の課題と未来」を予定しています。

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