私の散歩論

ページ

2014年5月29日木曜日

ブログ楽しみの7ステップ

このブログの記事数1000通過を一つの節目と考え、ブログ活動の楽しみについて内省してみました。

1000記事は全てブログ活動(散歩、パソコン作業、記事アップ)の何らかの楽しみを表現しているのですが、あらためてそれが何であるか考えてみました。

1 楽しみの7ステップ
思考の結果、自分のブログ活動の楽しみは次の7ステップのどれかのようだとの結論になりました。

●ブログ「花見川流域を歩く」活動の楽しみ7ステップ
ステップ1 現場における発見、気づき
ステップ2 発見した地物・事象等の観察
ステップ3 発見した地物・事象等に関する情報の収集(WEB、図書館等)
ステップ4 発見した地物・事象等の分析(メカニズム・機能など)
ステップ5 発見した地物・事象等の分類
ステップ6 発見した地物・事象等の命名
ステップ7 発見した地物・事象等の報告

ステップ1が最初で、ステップ7が最後になるのはほぼ確実だと思いますが、その間のステップは大体の順番で、実際は行ったり来たりの繰り返しになります。

例えば、花見川河川争奪というテーマについてふりかえると次のようになります。

●テーマ「花見川河川争奪」の楽しみステップ
ステップ1 現場における発見、気づき
このブログで最初に花見川河川争奪について記述したのは2011.01.28記事「花見川上流紀行 10河川争奪の見立て」です。

地形学的な意味での興味だけでなく、それ以上に、ここで印旛沼堀割普請がおこなわれた理由の一つに河川争奪によって生じた空川(水量に比して規模の大きすぎる谷津地形、被奪河川)の存在があると直感できたので興味を持ったのです。

そして、昔の人々が印旛沼堀割普請を構想する一つの原動力となった空川の存在(台地にあった天然の「堀割」[]の存在)について、歴史関係者も地学関係者も誰も気がついていないらしいと感じたので、なおさら強く河川争奪に興味をもったのです。

※ 古文書・古地図は全て「印旛沼「堀割」普請」となっています。「掘割」ではありません。
私は、享保の印旛沼堀割普請の時から、台地を刻む「堀割」(谷津地形)があったので、「印旛沼堀割普請」という言葉が使われたと考えています。
「掘割」つまり、「掘る」という労働によって大きな溝(水路)をつくるというイメージをこの普請の名称に重ねるのは現代人だけだと思います。

ステップ2 発見した地物・事象等の観察
花見川河川争奪に関する現場観察は多数の記事にしていますが、次の記事では露頭観察の結果を報告しています。

ステップ3 発見した地物・事象等に関する情報の収集(WEB、図書館等)
花見川河川争奪について言及した文献を見つけて、初めて記事にしたのは次の記事です。

ステップ4 発見した地物・事象等の分析(メカニズム・機能など)
花見川河川争奪を分析対象として、その発生理由(成因)等について興味を持ち始めた最初の記事は次の記事です。

この記事以降、なぜ花見川河川争奪が発生したのか、そのメカニズムについて検討を深め多数の記事にしています。

最近では次の2記事にこれまでの検討をまとめています。

ステップ5 発見した地物・事象等の分類
花見川河川争奪の河川争奪上の分類について検討し、新たな様式(河道逆行争奪)として分類しました。

また、この様式(河道逆行争奪)が通常の河川争奪とその発生原理を異にすることから、その原理を「動的河川争奪」と命名分類して説明しました。

ステップ6 発見した地物・事象等の命名
花見川で発見した河川争奪ですから、「命名」という意識なしで最初から「花見川河川争奪」という言葉を使ってきています。アプリオリに「花見川河川争奪」と命名してしまっています。
このような命名で社会に受け入れられると思います。
最初に「花見川河川争奪」と記述した記事は次の記事です。

ステップ7 発見した地物・事象等の報告
花見川河川争奪について社会に向かって報告(ブログ以外の手段による情報発信)はまだしていません。
花見川河川争奪についてまとめたものとして次の記事があります。
2014.05.08記事「花見川河川争奪のまとめ

多数の散歩テーマの中で、社会に向かって、ブログ以外の方法で、報告したのは「トーチカ」だけです。
この報告書は紙版を関係行政機関等に配布しました。

2 楽しみの本質は学習と似て非
ブログ活動の楽しみの本質はいわゆる学習活動と似て非なることをメモしておきます。

単に、知らない事実や知識を学習活動(勉強)により知っても、あるいは散歩によって知っても、そこに心ときめく真の面白さはありません。

(もちろん学習して知識を増大させたり、スキルを向上させることは大切さであり、活動や生活全体をレベルアップすることになることは当然です。)

学習というキーワードには、すでに学ぶべき客観的知識が存在するという前提が存在しています。

回答が既に用意されている課題をいくら学習(勉強)しても、心の奥底レベルで考えると、つまらないことです。

学習と私のブログ活動は一見似ている活動です。外見上は類似の活動と間違われてしまうかもしれません。

しかし、私のブログ活動を「学習」という言葉に当てはまるかどうかと問われれば、私のブログ活動は「学習」ではなく、「探究」という言葉がふさわしいと思います。

私のブログ活動の面白さは上記「活動の楽しみ7ステップ」を行ったり来たりする探究活動です。

3 活動の本質はプロセスを楽しむ点にあり業績主義ではない
私のブログ活動が「学習」ではなく、「探究」であると述べましたが、ここで「探究」とした趣味活動はいわゆる一般の「研究」活動(とか調査活動)と異なることをメモしておきます。

一般の「研究」活動の多くは、狭い意味での社会や組織が要請して、業績を生み出すことに最大の焦点を当てて実施される活動です。活動の背後には必ずパトロンやそれに類する人・組織がいます。

私のブログ活動は上記「7ステップ」というプロセスを楽しむ活動です。業績指向という縛りや各種社会的縛りとはかかわりありません。

つまり、私のブログ活動は仕事ではない完全趣味の「探究」活動です。

そして、数年この活動を行ってきて、もし同じような活動を仕事でしたのでは実現できないような多様で質の高い成果を得られていると感じています。

他の方のことはわかりませんが、自分の頭脳に関しては仕事よりも趣味の「探究」活動の方がより創造的に働いていると感じています。

今朝の弁天橋からの風景 2014.05.29


0 件のコメント:

コメントを投稿