私の散歩論

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2014年7月17日木曜日

新発見 小深川谷津は化石谷津である

シリーズ 花見川地峡成立の自然史 -仮説的検討- 
第4部 下総台地形成に遡る その17

2014.07.16記事「四街道市付近の谷中分水界列」で示した小深川の谷中分水界に関する情報を追補します。

小深川谷中分水界の位置
「旧版1万分の1地形図(大正6年測量)読図による谷中分水界域等」図に河川名追記

次の地形3D図に示すように、小深川のこの位置の谷中分水界存在は動かしがたい事実です。

地形3D図に表現される小深川谷中分水界

感覚ではなく、データとして小深川谷中分水界の形状を示すと次のようになります。

小深川谷中分水界付近の谷津横断形

しかし、旧版1万分の1地形図(大正6年測量)では小深川の水路が、谷中分水界部分を流れ、谷中分水界の南の(上流の)谷津底水田とつながっているようになっています。

旧版1万分の1地形図(大正6年測量)拡大図
地形段彩図オーバーレイ

この谷中分水界部分の小深川水路は江戸時代における谷中分水界より上流(南側)の谷津水田開発に伴い、その悪水落としとして造成された人工水路であると考えられます。

古文書を詳しく調べれば、この水路が人工のものであることが直接わかるかもしれません。

なお現在の小深川の水路も江戸時代につくられた悪水路(人工水路)を踏襲して谷中分水界を乗越えて通っています。

以上の検討により、小深川谷津には水が流れることができない地形としての谷中分水界が存在していることと、近世の開発事業で人工水路がつくられ、谷中分水界を乗越えて水が流されていることが結論付けられます。

つまり、小深川の谷津が普通の谷津ではなく、地殻変動により河川の流れが途絶えた特殊な谷津であるということが判ったことになります。

谷中分水界より上流の小深川谷津は一種の化石谷津だったのです。

このブログで小深川谷津が化石谷津であったという新発見をしたことになります。

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