私の散歩論

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2014年8月16日土曜日

旧石器時代遺跡密度について考える

シリーズ 花見川地峡の利用・開発史
第1部 縄文弥生時代の交通 その8

1 旧石器時代遺跡の密度算出と密度分布図作成
「ふさの国文化財ナビゲーション」(千葉県教育委員会)からダウンロードした埋蔵文化財リスト(旧石器時代)について、書式不備等の部分について最低限の調整をしてから、市区町村別箇所数をカウントしました。

千葉県全体の埋蔵文化財(旧石器時代)箇所数は885箇所で、全埋蔵文化財箇所数19905の約4.4%にあたります。

箇所数が多い自治体は千葉市115、市原市62、富里市62、成田市58、松戸市51、印西市50、香取市50などとなっています。

箇所数がゼロの自治体は館山市、鴨川市、浦安市、神崎町、九十九里町、一宮町、睦沢町、長生村、白子町、長南町、鋸南町となっています。

埋蔵文化財(旧石器時代)885箇所を千葉県面積5156.62km2で割ると平均埋蔵文化財(旧石器時代)密度1.7箇所/10km2が算出されます。

そこで密度情報を単純化してわかりやすくするために、平均値の値とその倍数を使って、次のような分級をして分布図を作成しました。

●埋蔵文化財(旧石器時代)密度の分級
分級A 3.4~ 箇所/10km2
分級B 1.7~3.3 箇所/10km2
分級C ~1.6 箇所/10km2

なお、千葉市の情報は区別に示しています。

市区町村別埋蔵文化財(旧石器)密度

2 考察
市区町村別埋蔵文化財(旧石器)密度を見ると、印西市、八千代市、佐倉市、四街道市を中心にしてその周辺の我孫子市、松戸市、鎌ヶ谷市、千葉市緑区、富里市、芝山町に密度の特に高い場所が分布しています。

さらに、密度の中程度の場所が密度の高い場所を囲むように、西は流山市、柏市、東は成田市、香取市など、南は市原市、袖ケ浦市、木更津市などに分布しています。

一方、房総南部の深い谷が発達する丘陵地帯全域、九十九里浜方面、利根川沿いは遺跡分布がないかあるいは密度が低くなっています。

こうした特徴から、旧石器遺跡の分布には次のような特性があるのではないかと考えました。
1 旧石器遺跡が分布する主な場所は台地地形の場所です。ここが旧石器時代人の主な生活の場所(狩りの場所)であったと考えます。大形動物が生息していて、狩りがしやすかったのだと思います。

2 房総南部の深い谷のある丘陵地帯は旧石器時代人があまり生活の場所として利用していなかったと考えます。大形動物が少なく、狩りがしにくかったのだと思います。

3 九十九里浜方面、利根川沿いは縄文海進により谷が埋没したので、その場所にあった遺跡も埋没してしまったと考えます。
房総南部丘陵地帯に遺跡が少ないことを考えると、沖積層に埋没した遺跡があったとしても、その場所の当時の地形は険しかったので、少なかったと考えます。

4 印旛沼を取り囲むように印西市、八千代市、佐倉市、四街道市が連担して密度が高い理由は、この付近が利根川、古東京川、栗山川などの深い谷の間に存在した開析の少ない台地であったため、ほかの場所より大型動物の生息が多く、狩りもしやすかったのだと思います。

成田市や香取市は同じ台地でも開析が進んでいて、また市原市や袖ケ浦市、木更津市では谷が深くなっていて、こうした地形特性が旧石器遺跡密度分布にかかわっていると考えます。


3 参考
次の図は「日本第四紀地図Ⅱ先史遺跡・環境図 B最終氷期(約6万年前~1万年前)」(日本第四紀学会編、1987年)の一部を切り取ったものです。


参考 最終氷期の陸域の分布
2万年前の海陸分布を示しています。
黒丸は旧石器時代Ⅱ期(石刃石器群、約3万~1.4万年前)の遺跡のうち、縦長剥片ナイフ形石器です。

この図から判る様に、旧石器時代の海面は最終氷期最盛期には現在より100mから120m低かったと見積もられています。

旧石器時代の遺跡分布を考える際には、当時の地形は現在とは全く異なっていたと理解してかかる必要があります。

次の図は最終氷期最盛期頃の北総台地付近の地形を想像したものです。
開析の少ない台地が旧石器時代人の主な生活場所であったと考えます。

最終氷期最盛期頃の北総台地付近の地形

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