第1部 縄文弥生時代の交通 その10
1 裏を取ることにする
2014.08.15記事「埋蔵文化財情報から市町村別「歴史濃度」を概観する その1」で書いたように、花見川地峡の交通を検討する資料としてWEB(「ふさの国文化財ナビゲーション」千葉県教育委員会)から埋蔵文化財情報をダウンロードして、下ごしらえ作業をしたのですが、せっかくの千葉県全体の生資料であり、寄り道して、その千葉県全体資料から時代別市町村別遺跡密度図を作成して、各時代の「歴史濃度」を概観し始めました。
旧石器時代と縄文時代については既に記事にしました。
そして、ここまで時代の概観をしてみて、自分が想定した以上に有益情報を得られていることとそれから強い触発を受けていることに気がつきました。
本来自治体区域別に埋蔵文化財密度を算出するということは意味が少ないこととして考えられていると思います。遺跡ポイントをプロットすれば一番よいのですが、もしそれが出来なない時はメッシュ化して表現するなどがふさわしいと考えるのが普通です。
しかし、実際に自治体別に密度を産出して分布図にしてみると、その時代の遺跡分布の特徴をかなり的確に「概観」できることが判ったのです。
時代別遺跡密度図はすでに弥生時代、古墳時代とつくってありますが地域変化の様子がさらによくわかります。
このような想定外の情報取得と触発を体験して、ただ時代別作業を推し進めてその感想を書くだけでなく、その裏をある程度取っておくことが大切であると考えました。
自分が考察したことの的確性をある程度担保しておきたくなったのです。それだけ価値のある作業をしていることに気がついたのです。
裏を取るとは、自分が考察した内容が的確なものであるか、それともトンチンカンなものであるかという判断(評価)を、専門家の研究成果等に対照して行うということです。
私が考察した内容が専門家の論点と同じであるか(興味に合っているか)とか、専門家からみて意義が大きいかどうかということではありません。
専門家と素人の私の視点が違うのは当然です。その視点を問題にするのではなく、私が考察したことが正しいのか、間違っているのか、専門家の研究成果等から判断(評価)しておくということです。
2 「千葉県の歴史 通史編 原始・古代1」(千葉県、平成19年)から裏を取る
2014.08.16記事「旧石器時代遺跡密度について考える」の裏を「千葉県の歴史 通史編 原始・古代1」(千葉県、平成19年)から取ってみました。確かに裏を取れたと思います。
2-1 「千葉県の歴史 通史編 原始・古代1」(千葉県、平成19年)から得られた興味深い情報
この書籍では、「第1編狩猟・採集民の時代」の中の「序章旧石器・縄文時代の自然と環境」、「第1章旧石器時代の人類と文化」、「第2章景観の中の遺跡」、「第3章房総半島の旧石器時代の社会」で旧石器時代について記述しています。
この中で、出土する旧石器石材の分析から旧石器時代人の行動範囲を明らかにするとともに、旧石器時代人の生活にとっての北総台地の意義を述べています。
記述は旧石器時代をさらに時間的に5期に区分して詳細に行われていますが、ここでは行動範囲が広がった第4期(後期旧石器時代後半期)について記述を自分なりに地図化して要約します。
ア 旧石器時代人が利用した石器石材岩体の分布
東部関東後期旧石器時代の石器群と関係のある岩体の分布を図示しました。
東部関東後期旧石器時代石器群と関係のある岩体の分布
イ 後期旧石器時代後半期の狩場と石材補給エリア
下総台地から出土した旧石器石材の分析から、次のような狩場と石材補給エリアを明らかにしています。
後期旧石器時代後半期の狩場と石材補給エリア
旧石器時代人は驚くべき広域を周回して石材を入手しながら、印旛沼周辺の台地を東日本有数の狩場として生活していたことがわかります。
また、当時は海面が低かったため、現在沖積地となっている土地が急峻な谷地形となっていて、下野-北総回廊と名づけられた狭い台地の回廊が旧石器時代人の移動に重要であったことが詳しく述べられています。この回廊は人だけでなく、草食獣の移動の回廊であったことも述べられています。
下野-北総回廊
2-2 裏が取れた
印旛沼周辺の下総台地が東日本有数の狩場であると判ったことは、私にとって驚きをともなうとても有益な情報です。
この情報から、2014.08.16記事「旧石器時代遺跡密度について考える」で検討したこと(開析の少ない台地を分布図で示し、この部分が旧石器時代人の狩場として重要であることを示したこと)が、正鵠を得たものであると感じることができました。
裏が取れるとともに、旧石器時代人の驚くべき広域遊弋性と下野-北総回廊の重要性に気がつくことができました。
また、上記図書では印旛沼周辺の下総台地が東日本有数の狩場であること(遺跡が多いこと)を述べていますが、その理由を詳しく分析しているわけではありません。
従って、今後地形面等からなぜこの場所が東日本有数の狩場であったのか、さらに検討を深めることが有益であるこが判りました。
自分にとって、とても有益な追考となりました。
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