私の散歩論

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2014年8月20日水曜日

弥生時代遺跡密度について考える

シリーズ 花見川地峡の利用・開発史
第1部 縄文弥生時代の交通 その12

1 弥生時代遺跡の密度算出と密度分布図作成
「ふさの国文化財ナビゲーション」(千葉県教育委員会)からダウンロードした埋蔵文化財リスト(弥生時代)について、書式不備等の部分について最低限の調整をしてから、市区町村別箇所数をカウントしました。

千葉県全体の埋蔵文化財(弥生時代)箇所数は1365箇所で、全埋蔵文化財箇所数19905の約6.9%にあたります。
箇所数が多い自治体は市原市147、佐倉市110、袖ケ浦市105などとなっています。箇所数がゼロの自治体は習志野市、浦安市、白子町となっています。

埋蔵文化財(弥生時代)1365箇所を千葉県面積5156.62km2で割ると平均埋蔵文化財(弥生時代)密度2.7箇所/10km2が算出されます。

そこで密度情報を単純化してわかりやすくするために、平均値の値とその倍数を使って、次のような分級をして分布図を作成しました。

●埋蔵文化財(弥生時代)密度の分級
分級A 5.4~ 箇所/10km2
分級B 2.7~5.3 箇所/10km2
分級C ~2.6 箇所/10km2

なお、千葉市の情報は区別に示しています。

市区町村別埋蔵文化財(弥生時代)密度

2 考察
ア 地域構造が明瞭に表現されている
弥生時代というくくりでみると、印西市、八千代市、佐倉市、四街道市を中心とする高密度地域と袖ケ浦市、木更津市を中心とする高密度地域の2箇所が歴史が濃い地域として表現されていて、当時の地域構造を表現しているものと考えます。

「千葉県の歴史 通史編 原始・古代1」(千葉県、平成19年)の「第2編農耕文化の始まりと政治的社会の形成 第3章社会の変容」に次のような記述があり、この密度分布図の意味の説明のようになっています。

「房総では、…後期になると、北部の下総地域と南部の上総・安房地域という二つの地域で大きく異なる土器様相になることが確認できる。下総地域では、霞ケ浦や印旛沼、手賀沼が一体となって大きく広がっていた香取海とう内海を中心に北側に接する常陸・下野地域と共通する縄文を多用する土器が使用され、上総・安房地域では、東京湾沿岸を中心に対岸の武蔵・相模地域と共通した壺・甕を器種組成とする土器が使用されるようになる。そして、この二つの地域では土器以外でも人びとが居住した住居やムラの形態、墓制といったさまざまな点において差異がみられる。差異が表出した背景を理解することは難しいが、香取海という内海や鬼怒川を通じて弥生時代以前から常陸・下野地域と生活の繋がりをもっていた下総地域と、東京湾を通じて対岸の地域と交流を行っていた上総・安房地域という、地理的な違いがひとつの要因であったといえる。なお、両者の間に交流はあったものの、後期を通じてこの地域差が解消されることはなかった。」

イ 佐倉市を中心とする高密度地域と東京湾を結ぶルートが花見川であることが示唆されている
千葉市花見川区が分級Bとなっていて、高密度地域と東京湾を結ぶルートが花見川であったことが示唆されています。
このブログにおける問題意識からすると、重要な情報です。

縄文時代遺跡密度の検討では、印旛沼水系と東京湾を結ぶメインルートは都川-鹿島川ルートと考え、花見川-平戸川ルートはサブ的なものとして考えました。
縄文時代の交通は幹線ルートといえども近隣集落を次々と結んで(連担して)移動していく伝言ゲーム的イメージが濃いのではないだろうかと空想しています。

弥生時代になると、それから変化して、花見川-平戸川ルートがメインルートになったということです。
その変化の理由は、水田耕作の開始や金属器の使用開始という社会の様相をガラリと変えるような技術革新の時代にあって、交通の場は地形的に最も通行しやすい場所におのずと変化した(合理的に選択された)ということだと思います。

都川-鹿島川ルートは、東京湾岸の大規模貝塚からその産品を鹿島川沿いの集落に運ぶ物流ルートとしては機能したとしても、弥生時代になり大規模貝塚の衰えた時、そのルートより花見川-平戸川ルートの方が地形的に水運上有利であり、水田耕作や金属器に関わる物品や技術・情報の移動は花見川-平戸川ルートに変更になったのだと思います。

参考 旧石器時代人の南北移動幹線ルートのイメージ

参考 縄文時代人の南北移動幹線ルートのイメージ

参考 弥生時代人の南北移動幹線ルートのイメージ

市町村別遺跡密度という、奥歯に物が挟まったようなデータではなく、早く遺跡情報を地図にプロットしてもう少し詳しい時代や対象別検討を始めれば、恐らくより的確な交通に関する情報を手にいれることができると考えます。

奥歯に物が挟まったようなデータによる寄り道はさらに、古墳時代、奈良時代、平安時代までつづきます。


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