私の散歩論

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2014年10月29日水曜日

旧石器時代石器学習 その5

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.2旧石器時代の移動路>3.2.6旧石器時代石器学習その5

2014.10.28記事「旧石器時代石器学習 その4」で石器群別ギャザリング・ゾーンをアニメ表示で図示してみました。
このアニメを期別に編集して表示してみました。

期別(移行期~終末期)の分け方は「千葉県の歴史 通史編 原始・考古1」(千葉県発行)によるものです。
移行期とは中期旧石器時代と後期旧石器時代との間に位置する移行期という意味です。

なお、アニメにはギャザリング・ゾーンのおおよその範囲をイメージ的に理解するための点線を記入しました。
房総の後期旧石器時代 期別ギャザリング・ゾーン アニメ表示(試作)

移行期→初頭期→前半期とギャザリング・ゾーンが大幅に拡大していく様子がきわめて特徴的です。

優秀な石材を求めて後期旧石器時代人の遊動範囲が大拡張していった様子が読み取れるのですが、なぜこのように遊動範囲が大拡張していったのか、その理由はこれからじっくりと考えたいと思います。

現時点で脳裏に浮かぶ相反する2つの理由をメモしておきます。

●後期旧石器時代人がギャザリング・ゾーンを大拡張した理由 その1
気候の寒冷化に伴う環境変化(動物相、動物の行動、植生変化や地形侵蝕進行による狩場環境等の変化)に対応するためには、優秀な石材を間歇的に入手することが生きてゆくために必須だったのだと思います。
気候の寒冷化によって狩対象動物が減り、樹木の減少により狩も困難となり、槍が最後のとどめを刺すために利用されたとはいえ、その優秀さ(作りやす、鋭利さ、頑丈さ、損耗しない程度…)によって獲得動物の量が変化し、グループの栄養状態が左右されたのです。
200㎞、300㎞と離れた深山に分け入り、優秀な石材を探して入手できたグループだけが子孫を残すことができたという厳しい世界だったと想像します。
優秀な石材を得ることができたグループだけが狩効率、生活効率を維持することができたのです。
優秀な石材を獲得できるサイトにたどりつけるコースの知識がグループに代々伝承していたのだと思います。
グループ毎に異なった石材獲得サイトの知識を有していたものと考えます。(同じ石器群でも産地が異なる遺跡がある理由はこのためだと思います。)

●後期旧石器時代人がギャザリング・ゾーンを大拡張した理由 その2
優秀な石材を得たグループの狩効率が良くなるとか生活効率が良くなることは概念的にわかったような気分になります。しかし、房総で狩をして子孫を残すために、福島県や新潟県、長野県まで遊動する必要が本当にあるのかという素朴な疑問が残ります。それほど石材の優秀さの程度が死活問題であるのか実感できません。
石器をつくったり、それで狩をしたり、日常生活で使ったりしたことがないので、実感が湧きません。
優秀な石材を得るために広範囲を遊動するという理由は、その1で検討したこと(それをしないと生きて行けないという死活問題である)ではなく、別の理由があるような疑念が浮かびます。
現代人は科学技術を発展させて、生活を次々に安全に、快適に、便利にしていますが、後期旧石器時代人もただ漫然と食物を得るだけでなく、狩生活をより安全に、快適に、便利にするために、より優秀な石材を求めていたと考えることができるような気がします。
優秀な石材を入手できれば、作りやす、鋭利さ、頑丈さ、損耗しない程度等々で狩生活が安全、快適、便利になります。
優秀な石材がなくても狩はできるのですが、近くのグループが優秀な石材を入手して狩生活を安全、快適、便利にしているのを知れば、自分のグループもそれが欲しくなります。
寒冷期とはいえ(寒冷期だから)、狩対象の動物は当時の人口に比したらきわめて豊富だったに違いありません。石材の良否で狩効率が決定的に異なるようなことは無かったと思います。
後期旧石器時代人は現代人と同じような思考・感情で生活していて、その結果、少しでも優秀な石材を入手して、少しでも生活の安全・快適・利便の向上を追究したのだと思います。
その向上心により優秀石材産地の探索活動が活発化し、それが実を結び、大遊動して優秀石材を入手するようになったと考えることができます。

理由その1とその2をメモしてみると、これまでは漫然とその1のように考えていたのですが、その2の方が自分にとっては説得力があるように感じ出しました。

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