私の散歩論

ページ

2014年12月16日火曜日

戦略思考にもとづく下総国府の計画的配置

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.21 下戦略思考にもとづく下総国府の計画的配置

房総の古代交通を考える際にその検討を避けることができないポイントとして下総国府設置の計画性があると考えています。そのテーマについて予察的に検討してみました。

1 下総国領域と古墳時代遺跡密度図

下総国領域と古墳時代遺跡密度図

下総国領域について古墳時代遺跡密度を見てみると香取の海沿岸に赤色地域(遺跡高密度地域=当時の開発地域)が分布しています。
古墳時代の下総国領域の拠点的地域が香取の海沿岸にあったことは確実です。
この場所の近くに下総国領域の重心(※)がありますから、領域支配を効率的に行ううえで合理的な場所であるといえます。
※ QGISの機能を利用して重心をもとめました。

一方下総国府の場所は遺跡密度がもっとも低い場所となっています。古墳時代には拠点的施設は存在していなかったと考えます。

律令国家になると、下総国では古墳時代にあった伝統的地域支配拠点から離れて、いわば更地の場所に国府を開いたのですから、その計画性は顕著なものがあります。
なぜそうしたのか、検討してみます。

2 下総国領域と常総地域・総武地域

下総国領域と常総地域・総武地域

下総国の地勢的特性として、常総地域(香取の海沿岸地域)と総武地域(東京湾沿岸)の双方にまたがって領域が存在しているということがあります。
この地勢的特性が下総国府の計画的配置に関わっていると考えます。

もし、常総地域に国府を配置すると、常陸国との関わりは強めることができますが、総武地域の武蔵国や上総国などとの関わりを深めることに支障がでます。
さらにその場所は国家中央との窓口になりません。

国府を総武地域に設置すれば、東京湾の水運に関わることができ、相模国、武蔵国、上総国との結びつきはもとより、内陸水運で上野国、下野国との結びつきも強めることが出来ます。

同時に総武地域(東京湾沿岸地域)と常総地域(香取の海沿岸地域)の交通を完全に独占できます。下総国を通過しなければ常陸国へ行けなくなります。
相模湾-東京湾を通じて、下総国が国家中央と陸奥国との間の窓口になることができます。

このような地勢上の戦略性に気がついて、在地の指導者および律令国家中央の政策担当官僚の双方の利害が一致して、国府を既存拠点から市川に移したのだと思います。

下総国府は戦略思考にもとづいて計画的に配置されたのです。

3 奈良・平安時代の交通網

奈良・平安時代の交通網

下総国府をそれまで更地の市川に計画配置して、その結果下総国の国力は大幅に増大しました。それは奈良・平安時代遺跡密度図の赤色地域が増えたことに示されています。

そうした地域開発の進展は3つの船越というインフラ整備が行われ、東京湾と香取の海の水運連絡を独占したことによると考えます。

また、下総国の発展は同時に常陸国の発展につながったと考えます。

0 件のコメント:

コメントを投稿