花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.69 上ノ台遺跡 滑石模造品工房
古墳時代遺跡である上ノ台遺跡(集落)の生業の検討をしています。
この記事では滑石模造品の作製工房について検討します。
次に玉類・装身具・滑石製品出土分布を示します。
玉類・装身具・滑石製品出土分布
この図では未製品だけが出土した住居趾と滑石未製品が多出した住居趾が判る様に示してあります。
滑石未製品多出住居趾が4軒あります。滑石製品作製工房であると考えられます。
滑石製品作製工房から出土した製品・未製品の写真例
「千葉・上ノ台遺跡 図版編2」(1983、千葉市教育員会)から引用
また、その近くに未製品だけを複数点出土する住居趾、未製品だけを出土する住居趾が分布しています。これらの住居趾は準工房であった可能性が濃厚です。
遺跡(D地区)全体を俯瞰すると、東側は製品が出土し、西側は工房、準工房が分布するような状況になっています。
また遺跡(D地区)に西隣するA・B地区で同様の滑石製品作製工房が3軒見つかっています。
このような情報から、上ノ台遺跡の西側は滑石製品作製工房地帯としてイメージしました。
滑石製品作製工房地帯のイメージ
滑石製品作製工房地帯を形成する住居趾が全て同時に存在していたことはあり得ないと思いますが、この地帯がある期間は継続して工房地帯を形成していたと考えます。
上ノ台遺跡(集落)の生業を考えるときに、無視できない要素になると思います。
滑石模造品は住居毎(家族毎)の祭祀に使う道具と考えます。
上ノ台遺跡(集落)の統治支配者(つまり花見川・浜田川流域圏の統治支配者)が自ら居住する拠点で工房をつくって滑石模造品を量産させ、統治支配地域の住民に配布して権力基盤を強化したものと想像します。
上ノ台遺跡における、未製品を除く玉類・装身具・滑石製品の出土状況は、全ての住居趾に対して極めて限られています。
その状況から勘案して滑石模造品を入手出来る家族はある程度限定されていて、滑石模造品の所持自体が一種のステータスシンボルであったように感じます。
玉類・装身具・滑石製品出土住居趾が、遺跡の中で一種の上流階層に該当しているらしいという分析結果が得られましたので、次の記事で書きます。
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