花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.74 地名「幕張」の語源
上ノ台遺跡の牛骨出土から、上ノ台遺跡(集落)のメイン生業として牛牧(ウシマキ)を想定しました。(2015.02.24記事「上ノ台遺跡 軍需品としての牛、殺牛・祭神・魚酒」参照)
この想定は牛骨出土と延喜式記載浮島牛牧が結びついたことに因るものです。(2015.02.14記事「上ノ台遺跡から出土した古墳時代牛骨の重要意義」参照)
さて、この検討により、現代地名「幕張」(あの幕張メッセの“マクハリ”)の語源が判ったという心理・思考状況が現出しましたので、記録しておきます。
参考図として次に近世馬加村の境界と関連地物を迅速2万図(明治15年測量)にプロットしました。
参考図 近世馬加村境界と関連地物
幕張(あるいは別表記「馬加」)(読みは同じマクハリ)の語源は牧墾(マキハリ)だと思います。
「幕」(マク)は牛牧(ウシマキ)のマキがマクに転じたのだと思います。
もともと牧(マキ)の意味は「 牛・馬などを放し飼いにする場所。」(出典:『精選版 日本国語大辞典』 小学館)です。
この言葉の動詞形は「まく【 撒く】散らしかける。ばらまく。撒布する。」(出典:『広辞苑 第六版』 岩波書店)です。
牛や馬を撒いた(放し飼いにした)ので牧(マキ)という言葉が生まれたのです。
ですから、マクとマキは通じています。
また、ハリは「はり【墾】〖名〗 (動詞「はる(墾)」の連用形の名詞化)① 開墾すること。「にいばり」「はりみち」など、他の語と複合して用いられ、現在でも、「春」「張」などの字を当てて、地名となっている所が多い。② 徳島県などで開墾地をいう。山梨県でも畠の数を一はり、二はりと数える。」(出典:『精選版 日本国語大辞典』 小学館)だと思います。
ひとことで言えば、牧懇(マキハリ…牧場開墾地)の読みが転じて「マクハリ」となり、当て字「幕張(あるいは馬加)」が付けられたのです。
近世以降には当て字「幕張(あるいは馬加)」に基づいて様々な語源説が唱えられるようになり、現代の地名辞典や「絵にみる図でよむ千葉市図誌 下巻」等ではこの当て字にもとづいた語源説を紹介しています。
上ノ台遺跡における牛骨出土情報の再発見を契機に、古墳時代の人々の活動をあぶり出すことによって、地名「マクハリ」の語源が判ったことは自分ながら痛快です。
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