私の散歩論

ページ

2015年3月15日日曜日

検見川台地古代竪穴住居址の時代別分布

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.87 検見川台地古代竪穴住居址の時代別分布

検見川台地の古代竪穴住居址の時代別分布について検討します。

検見川台地の古代竪穴住居址の時代別検出数はつぎのようにまとめることができます。

検見川台地の5遺跡から検出した古代住居址の時代別内訳(資料から読み取れる分)

直道遺跡の合計22軒と居寒台遺跡G区の16軒という数の多い遺跡調査区の時代区分がされていませんので、このままでは検討が茫漠としたものになってしまいます。

しかし、直道遺跡は2015.03.14記事「掘立柱建物址と竪穴住居址の時代関係」で検討した内容を用いると、竪穴住居趾の時代を仮定(想定)することができると考えます。

そこで、このブログで大胆なことになりますが独自の仮定を設けて、直道遺跡の竪穴住居址の時代の割り振りをしてみます。その結果を用いて、時代別分布図を作成します。

直道遺跡の竪穴住居址の時代別割り振りは次のような仮定を設けて行いました。

●直道遺跡竪穴住居址の時代別割り振りのための仮定
ア 掘立柱建物址群は全て奈良時代に建設されたものと仮定する。
イ 掘立柱建物址群によって切られている竪穴住居址及びその住居址と竃の方向が一致する住居址は全て古墳時代後期のものであると仮定する。
ウ 掘立柱建物址群を切ってつくられた竪穴住居址及びその住居址と竃の方向が一致する住居址は全て奈良時代以降のものであると仮定する。

このようなこのブログ独自の仮定を設けて直道遺跡竪穴住居址の時代別割り振りを行い、それを含めて検見川台地全体の情報を整理すると次の表になります。

仮定を設けて直道遺跡の住居址の時代区分をした場合の検見川台地古代住居址時代別内訳

居寒台遺跡G区の16軒分を時代別に割り振る方法が見つかりませんでしたので、残念ながらこのままとします。

この情報を使って、古墳時代と奈良・平安時代別に竪穴住居址数の分布図を作成しました。

検見川台地の古墳時代竪穴住居址検出数の分布(直道遺跡は仮定)

竪穴住居址の密集地は2015.03.13記事「検見川台地の鍛冶遺物出土を知る」で作成した検討図「検見川台地古代拠点集落空間構成の空想(2015.03.13)」の「竪穴住居址密集地」(薄黒表示)を使って表現しても不合理は生れません。

この「竪穴住居址密集地」が古墳時代拠点集落の範囲と考えて大きな間違いはないと思います。

検見川台地の奈良・平安時代竪穴住居址検出数の分布(直道遺跡は仮定)

奈良・平安時代でも「竪穴住居址密集地」は同じようなイメージでとらえることができることがわかりました。

古墳時代の拠点集落がそのまま奈良・平安時代の拠点集落の中心部に変化したことがわかります。

しかし、奈良・平安時代になると、竪穴住居址の分布が台地全体に拡がり(玄蕃所遺跡、横塚遺跡、大久保貝塚)、集落展開地が拡がったことを確認することができます。

この作業で検見川台地上の古代拠点集落の時代的空間的変遷を自分なりにイメージアップできました。

この古代拠点集落は奈良時代に突然計画的につくられた集落ではなく、既存の一般集落があり、その集落が奈良時代に変質して生れたことがイメージできました。

ですから、この古代拠点集落はある一定の時間は、上ノ台遺跡と同時に存在していた時期があると考えます。

古墳時代後期に存在した検見川台地上拠点集落の生業や上ノ台遺跡との関係に興味がそそられます。
また、奈良時代に集落の性質が大転換する様子(43棟の掘立柱建物址が建設される様子)にも興味がそそられます。

【メモ 1】
検見川台地に古墳が見つかっていないのは不自然なことであると考えます。
おそらく、検見川台地上には古墳が存在するけれども、台地上にも発達している砂丘の砂に埋もれているため、これまで未発見であると考えます。砂丘の分布と他の情報から古墳を発見できそうな場所をいつか検討したいと考えています。

【メモ 2】
直道遺跡では、掘立柱建物址で切られる竪穴住居址と、掘立建物址を切る竪穴住居址の竃の方向(竪穴の方向)が異なることがわかりました。
竪穴の方向を決める要因としては、その場の風に対して従順な方向であるという気象的要因や日の出日の入りや月・星の運行との関係など日照や星辰的要因などが考えられます。
これらの要因のどれに着目するのか、集団による違いがあったのか、これから学習したいと思います。

また、直道遺跡における竪穴方向の時代変化はたまたまの偶然的特殊的関係であるのか、それとも古代社会を理解する上で、何らかの形で一般化できる要素を含んだ変化であるのか気になります。

竪穴住居址の竃の方向(竪穴の方向)を含む住居址遺構情報から、時代を判別できるような情報を引き出すことができるのか、興味を持ちます。
土器については時代変化の有力な指標になるのに、住居址遺構形状が時代変化の指標になるという話は聞いたことがありません。

素人考えですが、現代社会でも住宅の時間的変化は確実に観察できるのですから、古代にあってもゆっくりとしたものであるかもしれませんが、住居址形状の変化は必ずあり、その変化は必ず発掘情報に反映しているに違いないと思います。
古代住居址遺構形状から適切な指標を抽出し、統計的解析(多変量解析等)を行えば時代判別ができる…か?

0 件のコメント:

コメントを投稿