私の散歩論

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2015年5月2日土曜日

千葉県における墨書土器出土遺跡分布の把握

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.121 千葉県における墨書土器出土遺跡分布の把握

八千代市白幡前遺跡では墨書土器が多量に出土していて、出土墨書土器を検討すれば遺跡の理解を深めることができると考えていますので、検討を始めたいと思います。

この記事では白幡前遺跡出土墨書土器検討に突入する前の準備として、そもそも墨書土器が出土する遺跡とはどんな遺跡なのか、イメージづくりをします。

銙帯の出土遺跡分布図から大いに刺激を受けた(2015.03.20記事「銙帯出土遺跡分布と東海道」等参照)ので、銙帯との関連を念頭に、まず墨書土器出土数が全国1多い千葉県の状況を知りたくなったのです。

1 墨書土器出土遺跡分布図の作成
千葉県における墨書土器出土遺跡分布図をこれまで見かけたことがなかったので、歴史考古の専門調査機関である千葉県教育振興財団に問い合わせをさせていただきました。

問い合わせに回答をいただき、千葉県における墨書土器出土遺跡分布図は出土量が多いためないとの回答をいただきました。ただし県内から出土した墨書土器のデータは明治大学古代学研究所で「全国墨書・刻書土器データベース」として公開しているという情報をいただきました。

早速明治大学古代学研究所のWEBサイトに入ると、なんと「千葉県出土墨書・刻書データベース」(Excelファイル)をダウンロードできました。

2005年までに刊行された報告書に基づく21049件の詳細な情報です。別に画像付のファイルもダウンロードできますが、今回は利用しませんでした。

データベースには遺跡の住所がでています。住所が出ていればアドレスマッチングにより簡易的分布図をつくることができます。千葉県全体の分布状況を見るのならばアドレスマッチングによる分布図で十分に用が足ります。

千葉県における墨書土器出土遺跡分布図はすぐに作成できました。

アドレスマッチングによる遺跡位置は所在町丁目の中央位置にプロットされます。正しい位置と平均して600m~700m程度ずれています。

アドレスマッチングでは1ドットが1遺跡の1出土墨書土器を表現している場合もあれば、1ドットが10数遺跡の数百の出土墨書土器を表現している場合もあります。

2 全遺跡分布と墨書土器出土遺跡との関係
次に、奈良時代の全遺跡分布図、平安時代の全遺跡分布図と墨書土器出土遺跡分布図を並べてみました。

奈良時代遺跡分布図、平安時代遺跡分布図、墨書土器出土遺跡分布図

奈良時代遺跡分布図と平安時代遺跡分布図はほとんど同じですが、それと比べて墨書土器出土遺跡は大変限られている分布をしていることがわかりました。

墨書土器出土遺跡分布図は律令国家成立当時の識字状況分布図として見ることができます。

文字を書くという文化的に高度な行為を伴う祈願活動を行っていた集落は大変限られていたということです。

同時に、墨書土器出土遺跡分布はどこかで見かけた分布図にそっくりです。そうです銙帯出土遺跡分布図です。

何はともあれ、墨書土器が出土する遺跡と出土しない遺跡の違いを検討すれば、大変豊かな情報を得られるであろうことがわかりました。大成果です。

将来全遺跡と墨書土器出土遺跡の統計情報を詳しく分析したいと思います。

3 銙帯出土遺跡分布と墨書土器出土遺跡分布の比較
銙帯出土遺跡分布図と墨書土器出土遺跡分布図を並べてみました。

銙帯出土遺跡位置図と墨書土器出土遺跡位置図

銙帯出土遺跡と墨書土器出土遺跡の分布は極めて強い相関を有することが確認できます。

官人が文字を持ち込み、官人と接触する住民が文字そのものを理解して、あるいは図像としてのみ理解して、祈願に使った様子がこの二つの分布図から浮かび上がります。

銙帯出土遺跡より墨書土器出土遺跡の方が多いので官人が居住する集落だけでなく、その周辺の集落にも官人の活動とその影響が在ったことがわかります。

しかし、銙帯が出土しない遺跡(官人が居住していなかった遺跡)のほとんどは墨書土器が出土しませんから、官人の活動と墨書土器の出土は切っても切れない関係であることを理解できます。

古代において官人が房総の文化の底上げをしたことがわかります。

この二つの情報を統計的に、あるいは地理的に分析すれば有用な情報を得られること必定です。

4 花見川-平戸川筋の比較
3で比較した図を拡大して、花見川-平戸川筋を見てみました。

銙帯出土遺跡位置図と墨書土器出土遺跡位置図(花見川-平戸川筋付近)

東海道水運支路および東海道(陸路本路)沿いに墨書土器と銙帯出土遺跡が分布します。

官人は蝦夷戦争の兵站・輸送活動のために東海道と東海道水運支路沿い各地で計画的地域開発を推し進めました。

その官人活動に伴って文字が普及し、文字を使った祈願活動が生れ、その祈願活動が行なわれた場所から墨書土器が出土していることがわかりました。


墨書土器に関する基礎イメージができましたので、次の記事から白幡前遺跡の墨書土器について検討します。

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