私の散歩論

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2015年7月14日火曜日

メモ 小字語源の想像的検討例 八千代市井戸向

小字地名データベース作成活用プロジェクト 21

八千代市大字萱田に井戸向という小字があります。遺跡名称「井戸向遺跡」にも使われている小字名です。

この小字「井戸向」の寺谷津を隔てた白幡前遺跡1BゾーンにP138という大きな土壙(大きな古井戸)があります。
この古井戸から3期(9世紀初頭)の土器を伴う大量のハマグリが出土しています。

小字「井戸向」と古井戸遺構
小字分布図は「八千代市小字図」(「八千代市の歴史 資料編 近代・現代Ⅲ 石造文化財」(八千代市発行)別添附録)」による

参考 古井戸遺構(P138)付近の遺構

過去の検討で、この古井戸は使われなくなってから、白幡前遺跡2AゾーンのH066(3間×3間総柱構造掘立柱建物、中央貴族を接待した建物と想定)に関連して大量のハマグリが捨てられたと考えました。(2015.04.29記事「八千代市白幡前遺跡 ハマグリを食った場所はどこか」参照)

古井戸が生きていた頃(水が汲めた頃)はH066やH069(3間×2間四面廂付総柱構造掘立柱建物、古代寺院のメインのお堂)が建てられたころで、古井戸は白幡前遺跡の集落(軍事兵站・輸送基地)中心の最初のメイン井戸であったと想定します。

私の想像では、小字名「井戸向」は1期~3期頃(8世紀中葉~9世紀初頭頃)実在した井戸(3期には水の汲めない古井戸となり、ハマグリ殻の格好の捨て場として利用された)に因む地名であると考えます。

●想像的検討結果
白幡前遺跡(軍事兵站・輸送基地)の最高指導場所のための井戸が実在し、その井戸の寺谷津を挟んだ向こう側の土地(台地)を「井戸向」と人々が呼んだ。

小字「井戸向」は実在した井戸(遺構P138)の開発・利用・廃棄という8世紀中葉~9世紀初頭の社会情報を共有した人々によって受け入れられた(発生した)地名である。

●参考 八千代市周辺11市域の小字「井戸向」
作成途中の千葉県小字地名データベース(11市)から「井戸向」を抽出すると次の4つとなりました。

作成途中千葉県小字地名データベースによる「井戸向」抽出

八千代市萱田以外の「井戸向」について、将来情報が集まれば、小字発生時代の違い、実在井戸(遺構)の存否・比定、「向」の意味などについて、比較して面白いことがわかる可能性があります。

●参考 遺構P138廃棄が意味する情報
遺構P138は3期(9世紀初頭)には廃棄され、ハマグリ殻の捨て場となりました。

折角掘った大きな井戸で、近くの場所の地名にもなった井戸ですが、水が出なくなったので、ゴミ捨て場としての利用しかできなくなったのだと思います。

この事実は、8世紀中葉の地下水位は9世紀初頭には下がってしまったことを物語っています。

私は、この情報から、この付近の台地地下水位が、大きな井戸でも使えなくなるような規模で低下したことを示すと考えます。

さらに、この情報は当時の平戸川谷津(現在の新川谷津)の水面分布、水運条件、水田開発可能性に関わる自然環境情報として重要であると考えます。

海面低下が進み、平戸川谷津の水面も低下し、それに連動して台地地下水位も低下したのだと思います。

東海道水運支路(花見川筋-平戸川筋の水運路)の自然環境条件から見た最盛期は9世紀初頭には既に過ぎていたことが想像されます。

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