私の散歩論

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2015年8月7日金曜日

萱田遺跡群の鍛冶遺物

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.182 萱田遺跡群の鍛冶遺物

白幡前遺跡から鍛冶遺物出土を知り、2015.05.30記事「八千代市白幡前遺跡から鍛冶遺物出土を知る」で報告しましたが、井戸向遺跡からも鍛冶遺物が出土していることを知りましたので併せて報告しておきます。

萱田遺跡群の鍛冶遺物出土地点
スケッチは「千葉県八千代市白幡前遺跡c地点-共同住宅建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書-」(2009、君塚克己・八千代市教育委員会)および「八千代市井戸向遺跡 -萱田地区埋蔵文化財調査報告書Ⅳ- 本文編」(1987、住宅・都市整備公団 首都圏都市開発本部・財団法人千葉県文化財センター)から引用

井戸向遺跡の鍛冶遺物は鞴の羽口の破片が出土しています。
白幡前遺跡では鞴羽口と鉄滓が出土しています。

萱田遺跡群からは鉄製品が多く出土しているので、これらの鉄製品の補修を行った鍛冶遺構の存在場所がこれら2箇所の鍛冶遺物出土地点であると考えます。

白幡前遺跡と井戸向遺跡から鍛冶遺構の存在が想定されることは、これまでのこのブログの検討結果と整合します。

白幡前遺跡と井戸向遺跡が一つの軍事兵站・輸送基地の中核地域を成していることと対応する事象です。

中核地域に鉄製品補修拠点が存在することは当然です。

北海道遺跡は、基地中核が配置した(恐らく奴隷労働を伴う)農業開発拠点です。また権現後遺跡は同じく基地中央が配置した土器生産拠点です。これらの拠点に鍛冶施設は必要ありません。

(余談)
まだ、資料を全く見ていないのですが、次のような予想を持っていますので、メモしておきます。

白幡前遺跡・井戸向遺跡を中核地域とする軍事基地はさらに高津馬牧をその直接の配下に置いていたと考えます。(墨書土器文字からそれは証明されると予感しています。)

高津馬牧には馬具の補修等の必要性から、また基地中核地域から離れているので、必ず鍛冶施設があったと考えます。

余談をさらに発展させると、次のような予想も持っていますので、メモしておきます。
基地中央が配下においた拠点として検見川台地の直道遺跡・居寒台遺跡もリストアップすることができると思います。
東京湾の河口港を持つ検見川台地上の基地も白幡前遺跡・井戸向遺跡にその中核拠点を置いた軍事基地中央の出先であったと考えます。
直道遺跡からも鍛冶遺物が出土しています。

浮島牛牧も当然基地中央の配下です。

このような関係が存在したからこそ、萱田遺跡群でハマグリの大量出土があるのです。
萱田遺跡群におけるハマグリ出土は単純な集落間交易によるものではなく、軍事基地内部の奢侈食料調達配給結果だと考えます。

白幡前遺跡・井戸向遺跡を中核地域とする軍事基地はその配下拠点を東京湾方面だけでなく、印旛浦方面にも必ず配置していたと考えますが、それがどの遺跡に対応するのか、そのイメージづくりのための今後の検討が楽しみです。





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