私の散歩論

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2015年9月27日日曜日

鳴神山遺跡の墨書土器文字・熟語

花見川地峡史-メモ・仮説集->3花見川地峡の利用・開発史> 3.4〔仮説〕律令国家の直線道路、東海道水運支路の検討>3.4.213 鳴神山遺跡の墨書土器文字・熟語

鳴神山遺跡の墨書土器文字・熟語の整理を進めました。

5点以上史料が出土した文字・熟語を整理してみました。

鳴神山遺跡墨書・刻書土器文字の単独出土数・総数・熟語

この表をイメージ的に整理すると次のようになります。

鳴神山遺跡 5点以上出土した墨書・刻書土器文字・熟語

5点以上出土した文字・熟語ということは、その文字・熟語が広く支配層中堅も含めた住民大衆に使われた可能性が高いものであると考えました。

支配層のトップクラス独自の文字・熟語は恐らく5点以上出土にならないと思います。支配層トップクラスが残した史料は恐らく長文史料がそれに該当するのではないかと想像します。

鳴神山遺跡では出土していませんが、人面墨書土器なども支配層トップクラスの書いたものと想像します。

5点以上出土文字・熟語は現場の官人(現場監督)とその配下の労働層が、プロジェクト別(いわば生業職種別)に使った祈願語であると想像します。

これらの文字・熟語はスローガンの役割をも果たした祈願語であると考えます。文字・熟語の中にはプロジェクト(職種)内容を幾分か反映しているものも含まれていると考えて間違いないと思います。

大、大加、大八のグループが最大出土数になっています。大を共有したグループが鳴神山遺跡のメイン集団であることは間違いありません。

メインの大グループの下にサブグループ大加と大八があったと想像します。

大の文字だけから、その集団イメージを想像できません。

×は熟語がほとんどありません。×が特定集団と結びつくものかどうかいまのところわかりません。

依も熟語が全くありませんから、この文字を共有する集団は純粋な単一集団であったと想像しています。

衣の文字出土と関連して、被服作成集団かもしれないと考えています。

冨も熟語が少なく、あまり他集団と関わらない集団であったと想像します。農業集団であると想像します。

♯、井は♯人、井人という熟語が4点出土していますから、単純な魔除け記号ではなく、より高次の意味が読み取れる可能性もあります。♯人、井人で魔除けを祈願する人=祈祷師などという空想も今後検討したいと思います。

エ、工はともに漢字の工である可能性の臭いを感じます。土木や建築関係集団でしょうか?

万を共有する集団は幾つかのサブ集団から構成されているようです。本家筋が上万(1点出土)でその配下に中万、千万があると想像しました。2015.09.23記事「鳴神山遺跡遺跡の墨書土器2」参照

犬は狩猟集団が共有する祈願語であると想像します。

丈は長文史料で丈部(ハセツカベ)が4点出土していることから印旛郡の支配的氏族である丈部一族を表現しているものと考えます。

十は×である可能性を感じます。

田は稲作に従事した集団の祈願語であると想像します。

久、久弥良、久弥は湿地における狩猟集団(水鳥猟集団)であると想像します。

卅はミソと読み、味噌作り集団の祈願語であると想像します。

廾、廿はツヅラと読み、被服倉庫の管理集団の祈願語であると想像します。

一はイメージが湧きません。

光は農業に関わる集団の祈願語であると考えます。

攴はボクと読み、字義はムチでたたくということですから、集落内治安集団の祈願語であると想像します。

高、三(3つ棒)、太、長、里は具体的イメージが湧きません。高、太、長、里は農業経済的豊かさの祈願語であるかもしれません。

山本は熟語単独で15史料が出土していて、山(農業開発地)の元締め集団の祈願語であると想像します。

5文字以上出土しない史料の検討は別に行います。

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