現代社会における科学技術の進展は恐ろしくスピードアップしていて、それに伴い自然的社会的事象の認識と解明が急速に進んでいるという印象を持っています。
それと類似の出来事がこのブログでも生じているという感想を持っています。
鳴神山遺跡の検討を進める中で、発掘調査報告書記載の出土物生データを全部GISデータベース化して、遺物や墨書文字相互の年代別統計的分析が可能となり、その結果をGIS空間にわけもなくプロットできるようになりました。(年代別データは183サンプル調査の竪穴住居に関し存在しています。)
自分のGIS技術革新が大いに進んだということです。社会における技術革新進展の恩恵を、私もささやかですが享受させていただいたということです。
おかげで、昨年までは不可能だった次のような検討をこれまでに行ってきています。
鳴神山遺跡に関する年代別空間分布図作成項目
今後、同じような年代別空間分布図作成を伴う検討を次のような項目で行うこととします。
●刀子
●土器(種類別出土数等)
●墨書土器率
これ以外にも検討したい項目はあるのですが、きりがないので年代別空間分布図作成を伴う検討はこれで打ち切るつもりです。
これまでの検討は鳴神山遺跡情報をまず項目別に分けてしまい、それを年代別に空間分布を見てきたことになります。
この検討で鳴神山遺跡の特性が次のように年代的に2分されることがよくわかってきました。
鳴神山遺跡の年代区分
前期は蝦夷戦争準備時代と蝦夷戦争時代であり8世紀をメインとする時期です。この時期には集落を貫く直線道路が機能していました。集落の特性は蝦夷戦争と切っても切れない関係にあったと考えます。
後期は蝦夷戦争の動員から解放されて集落が経済的に大発展し、その後急速に衰退した9世紀をメインとする時期です。前期とは全く異なる文脈で集落が成長し消滅しました。
鳴神山遺跡といってもこのように前期と後期ではその特性が全く異なります。
そのため、鳴神山遺跡の特性をより詳細に知るためには、年代別に出土物項目を総合的に検討する必要があります。
年代毎に集落の構造を調べる必要があります。
そこで、項目別に行った年代別空間分布図作成を打ち切った後、新たに年代別出土物総合検討を行うつもりです。
その際、前期の検討では集落と直線道路との関係が検討のポイントになりそうです。
後期の検討では集落発展の要因分析、集落凋落の要因分析が検討のポイントになりそうです。
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