2016.03.21記事「船尾白幡遺跡 紡錘車」で紡錘車出土と小字「白幡」を結びつけ、船尾白幡遺跡で養蚕が行われていた可能性について遠慮がちに考察しました。
2016.03.25記事「船尾白幡遺跡 鉄の道具」で鎌出土と紡錘車出土の考察から、船尾白幡遺跡で養蚕が行われていた可能性が濃厚であることを考察しました。
この記事では、出土した墨書文字から、船尾白幡遺跡で養蚕が行われていたことがほぼ確実であるとの考察を行います。
次の表は船尾白幡遺跡出土墨書土器文字の上位40位までを示したものです。
船尾白幡遺跡 墨書土器文字(釈文)の数(上位40まで)
千葉県墨書土器データベース(明治大学日本古代学研究所)から作成
この中の16位「小」、23位「小小」、25位「子」が養蚕関連祈願文字であると考えます。
子(コ)には蚕の意味があります。
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こ【子・児・仔】
〖名〗
(「小(こ)」と同源か)
⑦蚕。万葉集(12)「たらちねの母が養(か)ふ—の繭(まよ)ごもり」
『広辞苑 第六版』 岩波書店
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子(コ)には蚕の意味があるとともに、小(コ)と同源である可能性を上記情報は伝えています。
蚕(コ)の次の説明を読むと、蚕(カイコ)は同音異義語との混同をさけるためにカイコとよばれるようになったのであり、元来は「コ」であったことがわかります。
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こ【蚕】
〖名〗 かいこ。<季・春>
*万葉(8C後)一二・二九九一「たらちねの母が養ふ蚕(こ)の繭(まよ)隠りいぶせくもあるか妹に逢はずして」
[語誌]蚕は、古く一音節語「こ」であった。「万葉」には「かふこ(飼ふ蚕)」が三例見られ、これが中古の「かひこ」を経て現代の「かいこ」となる。また、「万葉」には「くはこ(桑蚕)」が一例見られる。このように、「かふ」や「くは」を伴って表現されるのは、籠・子・粉・海鼠などの同音異義語との混同を回避しようとしたためといわれる。
『精選版 日本国語大辞典』 小学館
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これらの情報から、船尾白幡遺跡出土墨書土器文字「子」、「小」は直接に蚕を指し、養蚕の発展を祈願した文字であると考えます。
船尾白幡遺跡から墨書文字「子」、「小」の出土は次の通りです。
船尾白幡遺跡 墨書文字「子」、「小」
千葉県墨書土器データベース(明治大学日本古代学研究所)から作成
船尾白幡遺跡 墨書文字「子」「小」出土状況
墨書土器画像は千葉県墨書土器データベース(明治大学日本古代学研究所)から引用
鎌と紡錘車の出土状況から養蚕の重要拠点であるDゾーンから「小」3点が出土しています。
また繭生産基地であると考えたFゾーンから「子」が2点、「小」が2点出土してます。
ここで特筆すべきこととして「子」2点は掘立柱建物柱穴から出土しているのです。「子」が掘立柱建物から出土しているのです。
繭つくりが掘立柱建物で行われていたことがほぼ確実であると考えます。
住居である竪穴住居の中で繭つくりをするのは空間的余裕からしても、温度や湿度の管理などからしても効率性の上で困難極まりないと考えますが、掘立柱建物で行えばその点の困難を大幅に排除できます。
「子」(コ)が掘立柱建物から出土したことから、船尾白幡遺跡で養蚕が行われていたことはほぼ確実であると考えます。
「小」はその他、Cゾーン、Bゾーンからも出土しますので、船尾白幡遺跡は養蚕が集落全体で行われていて、集落の主要生業であった可能性が濃厚です。
現代まで「白幡」という小字名が伝わってきていることは、伊達ではなかったことがわかりました。
養蚕を掘立柱建物で行っていたと考えると、船尾白幡遺跡の掘立柱建物の多くの用途が養蚕であった可能性が生まれます。
次の図に掘立柱建物の分布を示しました。
船尾白幡遺跡 墨書文字「子」「小」出土状況と掘立柱建物分布
「子」「小」出土遺構近くにはいづれも多くの掘立柱建物があります。
それらの多くの掘立柱建物が養蚕施設であった可能性が濃厚になりました。
次の記事で養蚕関連民間信仰であるオシラサマ、馬娘婚姻譚と西根遺跡出土人形、馬形の関係を考察します。
公表されている発掘調査報告書から、予期しない発見をしているかもしれないと考えると、ワクワクしてきます。
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