私の散歩論

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2016年6月9日木曜日

発想メモ 古代地名「イラ」の意味に関する疑問

2016.05.22記事「古代地名「イラ」の追考」で房総古代地名(イラゴ、イラセ、イラタ)が海人(あま)の活動とダブって理解できるのではないかと考え、自分の学習を深めました。

専門図書の中で述べられている、弥生時代頃以降の海人(アマ)族の全国展開と関連付けて、「イラ」地名を理解しました。

その理解はもっと深めていく価値があると考えています。

さて、「イラ」地名の言葉の意味そのものについて疑問が生まれ、頭の中で成長していますので、その最初段階の疑問をメモとして記録しておきます。

「イラ」地名について鏡味完二は次のように説明しています。

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Ira・Eraの地名

Na・ngaraの地名が近畿に分布の中心があったのに対して,Ira・Eraの地名,とくにIraよりも古い形のEraは,燧灘以西の地域に分布している。

このEraの分布地域は,Na・ngaraの分布が銅鐸圏内にあったのに対して,北九州を中心とする銅鉾圏に相当し,またそれは岬角地名による地域区分のA地域(各論篇,海岸の地名)に一致している。

Iraは大分(オオイタ)方言で「うろこ」,Eraは京都方言で「うつろ」,山ロ方言で「水辺の穴」である。

「うろこ」と「うつろ」・「穴」とは対象物が若干異っているが,国語となったEra(鰓)について考えると,IraとEraの意味上の関係が判明する。

すなわち鰓は「うろこ」形をなし,同時に「うつろ」また「穴」をなしているからである。

はじめはIraが逆立つ意味からの「鱗」から,Eraとなって海岸や河岸などの洞穴の地名となったと考えられる。

EraとIraとは母音相通の関係にあり,分布上Eraが古く,Iraが新らしいと考えられるが,とくに北九州を中心としたEra・Iraの周圏構造は珍らしい型である。

〔地図篇,Fig.125〕(Fig.22No.1)

鏡味完二(1981)「日本地名学(上)科学編」(東洋書林)(初版1957年)から引用
太字は引用者
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この引用の太字部分をよく読むと、残念ながら鏡味完二が論理的に矛盾していることが判りました。

その矛盾の様相を表にまとめました。

鏡味完二(1957)の「イラ地名は洞穴の地名」説明の矛盾

千葉県小字データベースの試用のために、せっかくだからということで鏡味完二の地名型の検討を行っているので、最初は訳も分からず鏡味完二の説をそのまま適用してきました。

しかし、検討を進める中で身に着けた情報も増し、半世紀以上前の鏡味完二説の不備にいろいろと気が付きだしたという次第です。

イラとエラが同じ言葉で音韻変化したものであるという説は、説明が矛盾しているので受け入れられません。

説明の矛盾をあえて表ざたにするのは、イラ地名が洞穴ではなく、崖を意味する言葉であると考えるからです。

イラ地名とエラ地名の違いを次のように考えています。

イラ地名、エラ地名の意味(想定)2016.06.09

イラの関連語としてヒラ(傾斜地、例 京都比良山など)、ピラ・ビラ(アイヌ語 崖)などがあり、洞穴の意味は基本としてないと考えます。

崖に洞穴が存在することは、特に海蝕崖では一般的ですから、鏡味完二は勘違いしたのだと思います。

エラの房総実例として新たにメラ(布良)(館山市の大字)を挙げることにしました。

エラとメラは同根の言葉であると考えます。

布良(メラ)には海蝕洞が存在しますので、次の記事で紹介します

イラ(崖)、メラ(洞穴)ともに原始・古代人がその地名をつけたときは、地形学的観察結果を表現したのではなく、生活との関わり(具体的には漁撈生産活動)を表現した言葉であると考えます。

イラ(崖)はその崖下の海域が漁場として好適であることを、メラ(洞穴)は洞穴を生活拠点に漁撈活動ができることを表現しているのだと思います。


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