この記事では白幡前遺跡との比較を行います。
上谷遺跡の墨書土器出土数は千葉県第2位1043、白幡前遺跡は第3位832です。
上谷遺跡と白幡前遺跡の位置
上谷遺跡 墨書土器 文字別出土数
千葉県墨書土器データベース(本編、補遺1、補遺2)(明治大学)から作成
白幡前遺跡 墨書土器 文字別出土数
千葉県墨書土器データベース(本編、補遺1、補遺2)(明治大学)から作成
●上谷遺跡の特色
ア 釈文不明墨書土器の多さ
上谷遺跡では釈文不明数が462、白幡前遺跡では117と大きく異なります。この差異が出土状況そのものに起因するものか、調査手法に起因するものであるのか不明です。
釈文不明墨書土器割合が出土状況そのものに起因するとすれば、上谷遺跡では土器が最後に捨てられるときの破壊細分化が著しかったなどが考えられると思います。
調査手法が起因するとすれば、調査年代が新しくなるに従ってわずかの墨書跡も見逃さないという調査技術の精度向上があり、上谷遺跡では土器片墨書痕跡の見逃しが少なくなったということが考えられます。
あるいは墨書形状は明瞭であるが、上谷遺跡では釈文が追い付かなったということかもしれません。
今後釈文不明土器の画像を見て、上谷遺跡釈文不明土器の多さについてその理由を検討したいと思います。
イ 出土数が少ない文字の絶対量が少ない
釈文不明と記号を除いた釈文された墨書土器数のうち、出土数上位4位までの文字、人面長文、地形、記号を除いた出土少文字は上谷遺跡では113です。
ところが白幡前遺跡では出土少文字が399になります。上谷遺跡の4倍になります。
上谷遺跡では白幡前遺跡とくらべて文字の多様性が大変貧弱であるといえます。
この文字種類貧弱性は次の特性で逆からも説明されます。
ウ 主要文字の出土数が多い
上谷遺跡では上位出土数文字は1位118、2位87、3位86、4位73ですが、白幡前遺跡では1位112、2位46、3位44、4位43となっています。
上谷遺跡では白幡前遺跡とくらべて少ない文字種類が沢山出土しているという傾向を読み取ることができます。
エ 難易度の低い漢字を使っている
上谷遺跡では得、西、竹、万が出土数上位の漢字です。発掘調査報告書では得と万は福徳の祈願に、西は方位、竹は地名に関連すると推定します。
この推定が当を得ているかどうか今後検討を深めますが、もしその通りの意味であるとすると、現代人の感覚でいえば概念が具体的であり、文字の画数も少なく、そのセットは白幡前遺跡と比べて難易度が低いように感じます。
一方、白幡前遺跡では生、夫(*大と一の組み合わせ文字、大一(タイイツ))、廓、継が出土数上位の漢字です。
このブログではこれまでこれらの文字の意味を次のように考えてきました。
生(戦勝祈願 生き残る)、夫*(陰陽師による戦勝祈願)、廓(基地警備隊の戦勝祈願)、継(都と戦地をつなぐ)
この解釈については今後再検討する必要予定ですが、いずれの文字も概念の度合いが高く、組織が関わるような言葉であると想定されす。
同時に組文字や多画数文字であり、難易度が高い文字であると考えて間違いないと思います。
オ 人面・多文字墨書土器が多出する
上谷遺跡では人面・多文字墨書土器が多出していて大きな特徴となっています。
以上の特徴を次のようにまとめることができます。
・上谷遺跡では墨書土器出土数が特段に多く千葉県第2位である。
・上谷遺跡では白幡前遺跡と比べると人面・多文字墨書土器が多出する一方、単文字や少数文字墨書土器の文字種類が貧弱であり、その文字難易度も低い。
人面・多文字墨書土器は集落の支配層が書いたと考えられますから、上谷遺跡の方が白幡前遺跡より支配層の人数が多かった可能性が考えられます。
単文字や少数文字墨書土器は集落構成員(一般民衆)が組織活動において書いたと考えられます。
従って、集落構成組織は上谷遺跡の方が白幡前遺跡より単純であった、あるいは集落存続期間が短期間であったと考えられます。
文字種が貧弱である分だけ上谷遺跡は白幡前遺跡と比べて集落ミッションが虚弱であったような印象を受けます。
恐らく上谷遺跡のほうが白幡前遺跡より生業職種が貧弱であったと考えます。
同じ開発集落でも上谷遺跡と白幡前遺跡とはその性格が大いに異なるようです。
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