この記事ではA102a竪穴住居について検討します。
1 A102a竪穴住居の位置
A102a竪穴住居の位置
墨書文字「得」が多出する集団と関わる掘立柱建物群の近く(入口?)にA102a竪穴住居は存在します。
その位置からA102a竪穴住居は集団の中で重要な機能を有していたと考えても不合理なことはありません。
2 A102a竪穴住居の特徴
次にA102a竪穴住居の特徴を列挙します。(発掘調査報告書から引用、表は作成。)
● A102aとA102bの重複
A102a竪穴住居はA102b竪穴住居と重複している。
A102aが新しい遺構、A102bは現状からみた推定規模は大きくなるが、堀込が浅く、床面も捉えきれなかった遺構である。A102aとの重複関係や規模等から竪穴住居跡としてが、竪穴状遺構と捉えた方がよいかもしれない。
● 規模のやや大きな竪穴住居
A102aは長軸5.62m×短軸5.57m×壁高0.83m、主軸方向はN-75°-Eを示す。竈を再構築している。
● 炉状ピットの検出
住居跡中央に炉のような浅いピットが検出されているが、住居廃絶後の燃焼行為の結果ではないと覆土から捉えられ、本住居跡に伴う炉状のピットであった。
ピット覆土は、焼土を混入した褐色土が1~5cmの厚さで堆積していた。
貼床を剥がしたような凹凸のあるハードローム面を坑底として、火床範囲と捉えたものも赤味を帯びる程度であった。
調査では、本ピットに係るような付帯遺構は検出できなかった。
覆土は基本的には自然堆積であり、色調や包含物により分層した。
A102a・b
● 極めて多数の遺物出土
A102aの出土遺物は極めて多く破片数は3000点を超えるものであったが、A102bの遺物の出土は少なかった。
3000点を超える遺物点数のため、全体的な平面及び垂直分布状況も、全域から出土しているものとなっている。
しかし、掲載した遺物は床面出土よりも覆土中層の遺物が多く、自然堆積によって住居跡が埋没する過程で、遺物の廃棄が行われたことを示している。
A102a・A102b出土遺物分布図
A102a・A102b出土遺物 1
A102a・A102b出土遺物 2
A102a・A102b出土遺物 3
● 墨書土器の出土が多い
特に墨書土器の出土が多く、87点に及んでいる。
記された文字は「得」が最も多く、31点が出土している。
また、「万」「大万」「仁」等も出土しており、Ⅱ地区の特徴的な文字の両者を出土する竪穴住居跡である。
A102a竪穴住居 墨書土器
● 鉄器出土が多い
この他には鉄器の出土も多く、鉄鏃3点、刀子3点、紡錘車2点等の12点を数える。
紡錘車は石製も出土している。
A102a竪穴住居 遺物観察表の集計
● 鞴羽口の出土
鞴の羽口片も出土しており、本住居跡ではその明瞭な形跡は認められなかったが、上谷遺跡における小鍛冶生産を想定できる資料といえよう。
A102a竪穴住居 鞴羽口
現存高(4.80)、内面 高温のため灰色化、羽口部分。
3 検討(想像を交えた学習)
3-1 炉状ピットの意義
竪穴住居の中にその住居に由来する炉状ピットがあるのですから、それが小鍛冶施設であったと考えることが合理的です。
ただし簡易な小鍛冶であり、炉の構造が残らなかったのだと考えます。
参考 古代の鍛冶工房復元図
「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」(千葉県発行)から引用
炉状ピットは既成鉄製品の修理やリサイクルなどのための簡易な鍛冶跡と考えます。
3-2 鞴羽口出土の意味
発掘調査報告書掲載図を拡大すると次のようになり、鞴羽口出土は覆土層の中層からであることがわかります。
A102a竪穴住居 鞴羽口出土位置
覆土層の中層から出土した鞴羽口片はこの竪穴住居で使われたものではない可能性が高いと考えます。
この住居で使われ鞴羽口が一度住居外に持ち出され、後に再度持ち込まれたと考えることの可能性もゼロではないと思いますが、その可能性は低いと考えます。
それは全くの偶然ということではなく、一定の必然性があると考えられますの、その考えを次にメモしておきます。
●メモ1 小鍛冶技術者(=集団指導者)に対する弔い
小鍛冶が行われていて廃絶したA102a竪穴住居は比較的大きな竪穴住居であり、また掘立柱建物群の入り口付近という集団拠点の要衝に位置しています。
このことから、A102a竪穴住居住人は集団の指導層に属していたと想定できます。
従って、小鍛冶という集団にとって重要な技術を有し、かつ指導者であるものが死亡して、その住居が廃絶したとき、集団住民がその廃絶した住居を、そこは決して墓ではありませんが、一種の弔いの場として、小鍛冶に関連する物品を供えたと考えます。
現代でも人が死ぬと1周忌、3回忌、7回忌などがありますが、同じような心性で、墓ではないが、過去に小鍛冶という重要な機能を担った人に感謝し、弔う気持ちから、お参り(祭祀)があり、その時関連する物が置かれたと考えます。
その時鞴羽口破片が供えられた(置かれた)と考えます。
●メモ2 A102a竪穴住居空間(場所)が過去に有した小鍛冶という有用機能に対する感謝の念
メモ1とメモ2は類似していますから通底していることは確かです。
私は、墓ではない場所に祭祀的なことが感じられるので、メモ2が大切な視点であり、その視点は現代社会ではほとんど失われていると考えます。
空間(場所)そのものに対する「思い」を古代人は持っていて、現代人はその感覚がすっかり退化していると考えます。
メモ2の視点に立脚すると多くの遺構・遺物の意味が解読できるような気がしています。
3-3 鉄器多数出土の意味
鞴羽口出土と同じ意味であると考えます。
つまり小鍛冶技術者(=集団指導者)に対する弔い、あるいはその場所の過去の小鍛冶機能に対する感謝の念からだと考えます。
恐らく、壊れたあるいは不用になった鉄器をその場にお供えした(あるいは埋めた)弔いや感謝の祭祀があったのだと思います。
3-4 墨書土器多数出土の意味
鞴羽口出土や鉄器多数出土の意味と共通すると思います。
鞴羽口や鉄器をお供えする祭祀の際に、集団のエンブレムとなっている文字「得」が墨書された土器を持ちより、酒宴をおこない、最後にそれを打ち欠いてその場に供えた(埋めた、投げた)のだと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿