縄文海進海面に関する予備知識は発掘調査報告書を学習する上で必須です。
1 予察的、簡易的に想定した縄文海進海面
予備知識ゼロの状態で、とりあえず予察的、簡易的に次のような縄文海進クライマックス期の海面を想定しました。
標高8m以下(空色)の土地を縄文海進クライマックス期の海面と簡易的に想定した地図
2016.12.25記事「大膳野南貝塚と縄文海進海面との位置関係」参照
2 辻誠一郎他(1983):縄文時代以降の植生変化と農耕-村田川流域を例として-、第四紀研究22(3)251-266による縄文海進海面
辻誠一郎他(1983):縄文時代以降の植生変化と農耕-村田川流域を例として-、第四紀研究22(3)251-266による縄文海進海面を示します。
縄文海進最高期の海況 1
縄文海進最高期の海況 2
3 予察簡易想定図との対比
標高8m以下の土地を縄文海進海面と簡易的に想定した地図に上記研究成果をオーバーレイしてみました。
標高8m以下土地(空色)と縄文海進最高期海況(6500年前)のオーバレイ
手前味噌になりますが、標高8m以下の土地の範囲が縄文海進最高期海面をイメージする簡易情報として役立つことを確認できたと考えました。
一方、6500年前の海面は現在の沖積低地よりも狭く設定されていることが大きな特徴となっています。
これは6500年前から現在までの期間に海蝕作用により台地が侵食され、波蝕台に変化したことを示しています。
つまり、現在の地形とくらべて、6500年前の地形はもっと台地が海側に張り出し、村田川河口湾が細長かったということになります。
この点は簡易的想定では考慮していませんでした。
GIS上で測定すると、大膳野南貝塚から谷津を下って東京湾(村田川河口湾)に出る場合、これまでの簡易想定では2.5㎞でしたが、この研究論文によると2.7㎞に延長となります。
この研究論文に接して、大膳野南貝塚と縄文海進海面との関係をより確信をもってイメージできるようになりました。
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