私の散歩論

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2017年3月16日木曜日

学習 佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」

WEBで縄文時代陥し穴について情報を渉猟していると佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」(北方新書)という図書にたどり着き、購入してみました。

佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」(北方新書)

この図書では過去及び現在の狩猟民の調査を行い、特に多摩ニュータウンにおける縄文時代陥し穴の調査研究を通して、「縄文時代陥し穴が罠猟として使われたものであり、追い込み猟でつかわれたものではない」という結論を導いています。

この図書のメインテーマはまさに「陥し穴は罠猟か追い込み猟か」という点にあるように感じます。

これまで、このブログでは大膳野南貝塚の陥し穴の使われ方を追込猟として想定してきていますから、自分の考えと真正面から異なる結論をこの図書では詳細に説明しています。

この図書の内容が自分が知りたいことばかりでありとても充実しているので、それだけに、説明通りであり自分が宗旨替えするのか、あるいは宗旨替えは必要でないだけの情報が発掘調査報告書分析で用意できているのか、どちらかの選択を強引に迫られているようで、ハラハラドキドキします。

学習の醍醐味の瞬間です。

この記事では図書の「陥し穴は罠猟か追い込み猟か」という小見出しと「追い込み猟での陥し穴の使い方」という小見出しの部分を引用して、著者の論点を整理します。

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陥し穴は罠猟か追い込み猟か
今村は、陥し穴の狩猟法を罠と追い込み猟の二種に弁別し、単独または少数の陥し穴を配置性に乏しく設置した場合には罠としての性格を、列状配置の多くには追い込み猟の可能性を認めている。
その他多くの研究者はより単純にどちらかの機能を想定しているようであり、大規模な列状配置のタイプには後者説の採用が一般的なようである。
しかしながらいずれにしてもその根拠は不明瞭で、「このような大規模な陥し穴群を単なる罠として作るには大変(=無駄)」だからといった素朴な印象=感慨の域を脱する論拠は見あたらない。
陥し穴資料自体の属性分析は細を穿つのと対照的である。

しかしながら民族考古学の立場から見た場合、先史狩猟採集民にとって罠か追い込みかといった問題は狩猟システムの根幹、従って活動系全体を評価するきわめて根本的な問題となる。
この問題の評価は、今後の陥し穴研究の進展が、狩猟システム研究に止揚していくのかどうかを分岐する重要な研究課題なのである。
そしてこうした狩猟システムの研究には、民族考古学研究が方法としてもっとも重要になろう。

陥し穴の全てが罠である可能性が高いことは、現生民族誌例やこれまでの筆者の民族考古学的調査から明らかである。
その根拠は次節において詳述する。

罠猟と追い込み猟のもっとも大きな違いはその運用にある。
追い込み猟は大規模な集団猟であることから、この猟を行う時には他の生業の実行を困難にすることが普通である。
つまり他に重要な生業がない時期か、他の生業を一定程度犠牲にしてもそれに見合う成果が期待される場合に実行可能となる。
肉や毛皮の質が向上し見通しのきいた森の中でも猟がしやすくなる等通常猟にもっとも適する時期と考えられる秋~晩秋は、木の実が繁りサケ等も遡上するので他の生業も本格化していることが多く、集団の労力の割り振りが生業スケジュールの上で問題となる。
現代人の感覚では不釣り合いに思われるような大規模な罠を製作・実行する意義はまさにここにある(図49)。

追い込み猟と比べて罠は、掛ける時期とは異なる時期からあらかじめ時間をかけて製作することが可能である。
従って、比較的少人数でも多くの猟果を期待できる大規模な罠は製作可能である。
何よりも猟の瞬間にその場にいなくともよいので、他の活動スケジュールとの調整が容易となる点が優れている。

一般に先史人の狩猟採集活動では、季節的変動に適応した資源開発の行動システムを構築していることが知られているが、その際もっとも重要な問題は時間の管理time budgetingである。
資源開発行動における時間の管理の精緻化は、適応システムの形態とその高度化を保証するのである。
そして罠の導入は、まさに時間管理の側面からもより効率的なリスク回避戦略として位置づけられよう。

追い込み猟での陥し穴の使い方
これら北方狩猟民のシカの追い込み猟では陥し穴が主な捕獲装置として使われることはない。
たとえ使用される場合でも、誘導柵・列の途中に切れ目を設け、群から離れて単独で逃げる獣を対象に付帯的に設置されている例しか認められない。
また逆に、長大な誘導柵に陥し穴のような罠を併設する例は各地の民族誌例に見られるが、これらは全て追い込み猟ではないことが重要である(図55)。

つまり重要なことは、こうした民族誌を点検する限りいずれの例でも、陥し穴は罠として機能しているということである。
追い込まれて興奮している動物が陥し穴にうまくはまることを期待することは困難でありまた、せいぜい1~2個体しか捕獲できないような陥し穴は、大量捕獲を目的とする追い込み猟にはふさわしくないのである。
従って縄紋の陥し穴は罠であり、陥し穴猟の展開は罠猟としての陥し穴猟の発達と考える方が現実的である(図56)。
文・図ともに佐藤宏之著「北方狩猟民の民族考古学」(北方新書)から引用
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著者は陥し穴が罠か追い込みかという問題は狩猟民を評価する根本的な問題であると認識した上で、次のような理由から、縄文時代の陥し穴は全て罠であった可能性が高いと結論づけています。

1 時間管理の有利性
陥し穴を罠として使えば、時間管理上、猟の最盛期に猟にかける時間を減らして、他の生業にかける時間を増やすことができる。
・季節前の準備が可能
・捕獲の瞬間にその場にいなくてもよい

2 少人数でも多数罠を用意できる
多数の罠を用意することによって、罠猟は少人数でも多くの猟果を期待できる。

3 民族誌では陥し穴は罠として機能
民族誌を点検する限りいずれの例でも、陥し穴は罠として機能している。
・北方狩猟民のシカ追い込み猟で陥し穴が主な捕獲装置として使われることは無い。
・長大な誘導柵に陥し穴のような罠を併設する例は各地の民族誌例に見られるが、これらは全て追い込み猟ではない。

4 追い込まれた動物は陥し穴に落ちにくい
追い込まれて興奮している動物が陥し穴にうまくはまることを期待することは困難である。

5 陥し穴では大量捕獲できない
せいぜい1~2個体しか捕獲できないような陥し穴は、大量捕獲を目的とする追い込み猟にはふさわしくない。

これらの理由にはそれぞれうなずけるものがありますから、まさに宗旨替えを迫られてしまいます。

次の記事で、大膳野南貝塚の例で、この考えを受け入れるべきか否か検討します。

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