早速このモデルを大膳野南貝塚陥し穴作成時代(縄文時代早期を想定)に投影して、そのころの狩の様子を想像してみました。
1 大膳野南貝塚付近の追い込み猟ポイントの想定
大膳野南貝塚付近 縄文時代追い込み猟ポイントの想定
下総台地が東京湾水系によって開析され谷壁が切り立っている谷頭に追い込み猟ポイントを投影することができました。
追い込み猟は台地面と谷頭の地形の変換が急激であるほど効率的であると考えますので、浅い谷は追い込み猟に適さないと考えます。
また、台地面とは繋がらない丘陵開析谷域は動物を集めることができませんから追い込み猟は行われなかったと考えます。
動物を追い込むのに不都合な方向の谷も追い込み猟には使われなかったと考えます。
なお、上図から大膳野南貝塚発掘区域は大金沢支谷A谷、B谷、C谷の3つの追い込み猟フィールドであったことが判ります。
2 陥し穴長軸方向から想像する誘導柵列
A谷追い込み猟に対応する誘導柵列を陥し穴長軸方向から推察してみました。
大膳野南貝塚 A谷追い込み猟 陥し穴長軸方向から想像する誘導柵列
33の陥し穴のうち8つの陥し穴の長軸方向から狭い台地を分断するような誘導柵列を想像しました。
このような誘導柵列を活用して、勢子と犬の共同作業としてのA谷追い込み猟が行われたと考えます。
A谷の谷底には追い込んだ動物を仕留める捕獲装置が設置されていたと考えます。
誘導柵列の所々に設置した陥し穴は、追い込み猟で使うのではなく、日常的罠猟として使われたと考えます。
誘導柵の主な効用は集団追い込み猟であり、陥し穴罠猟は誘導柵を副次的に利用して行われたと考えます。
B谷C谷追い込み猟に対応する誘導柵列は次のように推察できます。
大膳野南貝塚 B谷C谷追い込み猟 陥し穴長軸方向から想像する誘導柵列
13の陥し穴長軸方向から狭い台地を通路のように区画する誘導柵列を想像しました。
この誘導柵列の意義と陥し穴との関係はA谷追い込み猟と同じように考えることができます。
なお、想像した誘導柵が全て同時に存在したとは、陥し穴が全て同時に存在したと考えないのと同じように、考えません。
誘導柵は立木にツタを使って作るなどの場合が多かったと考えますから構造物とは言えない部分が多く、遺構としては残りずらいと考えます。
なお、陥し穴の長軸方向が誘導柵方向に略一致するという仮定でモデルを投影していますが、それで本当によいのか、詳しい情報はもっていません。
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