これを分布図で示すと次のようになります。
大膳野南貝塚 前期後葉 竪穴住居面積(㎡)
大膳野南貝塚 前期後葉 竪穴住居深さ(㎝)
さて、炉祉数(基数)をみると、優勢土器形式が逆転する結果になります。
大膳野南貝塚 前期後葉集落 竪穴住居炉祉数(基)
大膳野南貝塚 前期後葉 竪穴住居炉祉数
面積が狭く深さが浅い竪穴住居である諸磯式竪穴住居の方が、面積が広く深さが深い竪穴住居である浮島式竪穴住居より炉祉数が多い理由を次のように想定します。
諸磯式竪穴住居の方が建物(上物)の構造が虚弱であり屋根と柱やその他の部材破損に伴う主柱の交換位置変更の回数が多く、その度に炉の位置を変更せざるを得なかったと考えます。
諸磯式竪穴住居の方が狭く浅い竪穴住居であったことはそれだけでなく、同時に建物のフレーム自体が虚弱であったことと結びついていたと考えます。
太くしっかりした木材を利用できなかったのだと思います。
現代社会風に考えれば、浮島式土器竪穴住居住民より諸磯式土器竪穴住居住民の方が財力が無い、あるいは技術力がないということになります。
しかしそのような財力や技術力ではなく、この集落における諸磯式系住民の社会的身分が低く、そのために狭く、浅く、フレームが弱い竪穴住居の建設しか認められていなかったのではないかと想像します。
社会的身分の上下、優劣がある2つの集団が1つの集落社会を構成していた有様が浮かび上がりつつあると考えています。
なお追って、竪穴住居の上物(建物)の強弱を発掘調査報告書の情報(遺構平面図断面図、写真等)から分析的に抽出する作業にチャレンジしたいと思います。
参考 大膳野南貝塚 前期後葉集落 竪穴住居
0 件のコメント:
コメントを投稿