イナウに関する付け焼刃学習の第8回目です。
切りが無いのでこの付け焼刃シリーズ学習はとりあえず今回を終回にします。
近々、縄文時代後期イナウ現物そのものであると想定している西根遺跡出土丸木の未公開出土写真を閲覧する機会がありますので、その閲覧の後、付け焼刃ではない腰を落ち着かせた(広義祭具学習の一環としての)イナウ学習に取り組みたいと考えています。
(資料現物は既に閲覧していますが、薬剤とともに透明ビニール袋に入れて保存処理されていますので、観察に限界がありました。)
この記事では北原次郎太「アイヌの祭具 イナウの研究」(北海道大学出版、2014)におけるイナウの意義記述について学習します。
1 イナウの機能
北原次郎太「アイヌの祭具 イナウの研究」(北海道大学出版、2014)ではイナウの機能を次のように記述しています。
「イナウの主な働きとして、神への捧げ物、メッセンジャー、守護神の3つが挙げられる。しばしば言われる依り代としての働きはない。上でのべたように、樺太では魔祓いの用途にも用いる。どのような形状のイナウでも、幾通りかの使い方があり得るし、多くのイナウは捧げ物とメッセンジャーの役割を兼ねている。」
この図書では贈与物、伝令者、守護神について事例を含めて詳しく検討して「イナウ独自の働きはやはり贈与物であって、言伝の役割は、副次的なものであるように思える。」と結論的に述べています。
2 イナウと機能共通の別素材比較対象
北原次郎太「アイヌの祭具 イナウの研究」(北海道大学出版、2014)ではイナウと機能共通の別素材比較対象について次のように記述しています。
「イナウについて考える上で、周囲の民族との比較検討は必須だが、このように多義的で形も素材も様々なイナウのどこに焦点を当てるかによって、その対象も変わってくる。ウイルタ、ニヴフ、ウリチ、そして本州の削り掛けのように素材・形状とも類似するものに加え、前述したような他の素材との併用、または代替使用に注目すれば「機能・使用形態が類似するもの」という枠組みで比較対象を探すことも可能である。例えばサバ文化では、馬のタテガミと絹糸を撚り合わせたものを「salama」と呼び、剥幣のように用いる。馬乳酒祭という行事において立てられる装飾的な柱に張り巡らし、あるいは遠隔地へ移動する際、移動路の側に立っている特別な木にsalamaをしばって垂らし、旅行中の安全を祈る。これらはいずれも神々への贈与を意図して行われるのだという。ここに、剥幣との共通点が見えている。また、カムチャッカでは、ハマニンニクの茎を木偶に巻きつけて用いる。これも素材は異なるが、意図・使用形態という点からいえば、剥幣との比較対象に入れるべき文化である。
このように、見方によって、比較研究の対象地域は大きく広がる。従来は、木製であること、削りかけを持つことがイナウの本質のとしてとらえられたために、比較対象といえば本州の削りかけが主であった。しかし、上記の様に贈与物として用いられる多様なものの1つの形態として木の削りかけをとらえれば、視野は一変する。」
このブログで柳田國男の考えに立脚して検討している「イナウとヌサ・ぼんでんとの関連性」などとも親和する記述です。
参考 イナウ・ぬさ(幣帛)・ぼんでん(梵天)の関係(想像)
3 イナウの発展 「具象から抽象へ」か「抽象から具象へ」か
北原次郎太「アイヌの祭具 イナウの研究」(北海道大学出版、2014)では先行研究を吟味しながらイナウが偶像など具象から抽象に発展してきたのか、あるいは逆に抽象から一部にみられるような具象(人面など)に発展しているのか論じています。
著者は具象から抽象に変化したとする説を「考古遺物などを含めたより広い視野に立ち、新旧の造形物を関連付けようとしている」として支持しています。
西根遺跡出土丸木がイナウであるとする学術認定があれば、イナウの発展は著者が考えるような「具象から抽象へ」ではなく「抽象から抽象へ」が本質であり、派生物としては「抽象から具象へ」もあるということになりそうです。
4 石器によるイナウ作成
北原次郎太「アイヌの祭具 イナウの研究」(北海道大学出版、2014)では石器によるイナウ作成について次のように1言だけ触れています。
「…知里も言っているように、黒曜石の剥片を利用して削りかけを作ることも可能であるし、…」
この記述からアイヌイナウ研究では縄文時代出土遺物はもとより鉄器導入以前出土遺物としてのイナウの存在は知られていないことが判ります。
西根遺跡出土イナウの意義は大きなものがあります。
2017.07.05記事「西根遺跡出土縄文時代丸木はイナウ」参照
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北原次郎太「アイヌの祭具 イナウの研究」(北海道大学出版、2014)
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