2017.07.31記事「印旛沼・手賀沼付近の縄文海進海面分布イメージとその移動ルート」で簡易的方法により広域の縄文海進クライマックス期の海面分布を把握し、縄文時代の丸木舟を利用した印旛沼-手賀沼交通は戸神川谷津がその航路であったことを検討しました。
この記事ではボーリングデータを使って戸神川谷津の縄文海進海成層分布を把握することにより縄文海進海面分布を把握します。
戸神川谷津の主な地質柱状図は次の通りです。
戸神川谷津地質柱状図
データは千葉県地質環境インフォメーションバンクからダウンロードしたものです。
洪積層、沖積層の区分は層相及びN値等から明瞭に把握することができます。
このデータから海成沖積層の分布を推定すると次のようになります。
戸神川谷津縄文海進海成堆積物の分布
沖積層の層相がシルトや砂質シルトから腐植土質シルトに変化するところがあり、この変化点付近が海と川(後背湿地)の接点付近と考えることができます。
沖積海成層の分布域北限付近までが縄文海進クライマックス期の海面であったと考えることができます。
従って、ボーリングデータという客観的証拠から縄文海進海面分布を把握することができたことになります。
見やすい平面図で示すと次のようになります。
戸神川谷津の縄文海進クライマックス期の海面分布(支谷津は表現略)基図旧版2万5千分の1地形図
戸神川谷津の縄文海進クライマックス期の海面分布(支谷津は表現略)基図標準地図(国土地理院)
簡易的方法で推定したもの(赤丸…10m等高線)よりも谷津の奥深くまで海面分布があったことがわかります。
西根遺跡の北端から約1.3㎞先まで谷津深く細長い海面が分布していました。
西根遺跡検討のための基盤となる自然地理的知識を得ることができました。
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