私の散歩論

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2017年9月17日日曜日

西根遺跡 焼骨出土状況の詳細とその考察

2017.09.16記事「西根遺跡 焼骨はどこで焼かれたか」で焼骨が西根遺跡空間で焼かれて生成され、その場に存置されたことがほぼ判りました。

この記事ではさらに発掘調査報告書掲載情報を詳細に分析して焼骨出土状況を把握・確認するとともに、その事実に基づいた考察を行います。

1 焼骨出土状況の詳細把握
発掘調査報告書の土層断面図記載から骨片が炭化物(焼けた木片)と常に一緒に出土していて、獣骨が西根遺跡空間で焼かれ、その場に存置されたことが明らかになりました。

この様子は発掘調査報告書文章記述では次のよう述べられています。
「集中地点の中には土器のほかに獣骨片や炭化物が多くみられる所もある。獣骨片は比較的小型の哺乳類が中心であり、細かく粉砕され、被熱しているものが大半である。」(16ページ)
「(第1集中地点)3Cグリッドには土器と土器の間に焼けた獣骨片が見られる
(第2集中地点)包含層内の1部には炭化物や骨片が見られる
(第3集中地点)小骨片も認められる。」(22ページ)
「獣骨・種子については、調査区の中で目立ったものを採取したものである。分布については、第1集中地点~第5集中地点までは土器の重量分布(第13図)と重なっている
獣骨(第183図)については、大型片は出土せず、焼けた細片が主体である。全体で1509.6gが出土し、小グリッドで出土大いには、第1集中地点の3C65グリッドで104.2g、第3集中地点の8D76グリッドの197.0g、第4集中地点の9C96グリッド188.0g、10C09グリッドの160.7gであり、いずれも200gを切っており、僅かな出土である。獣骨の種別等については第8章第2節を参照されたい。」(232ページ)
「縄文時代後期の堆積層から採取した遺存体は、いずれも短時間に強い熱を受けたと考えられ、色調は灰白色ないし灰黒色を呈し、変形や損傷が著しい。」(342ページ 理化学的分析)
「西根からは、腐食しにくく、腐肉食性の動物などからの食害を受けにくい遊離歯も回収できないことから、今回の焼骨の中に占める頭骨の頻度はそれほど高くないと見込まれる。」(345ページ 理化学的分析)
「獣骨は、第1集中地点~第5集中地点で検出しているが、どれもほとんど同じ状況で被熱痕が強く残り、イノシシやシカの幼獣の骨片が多いという事実があきらかとなった。これについては今後、他の遺跡との照合が必要である。」(422ページ)

上記の記述から、焼骨の出土は土器が密集するところに分布し、炭化物と骨片が混ざっていて土器と土器の間にみられ、どこも同じような状況であることが確認できます。

2 焼骨づくりに伴う活動の考察 
破壊した土器があるその場所で焼骨を作ったことが確認できるのですから、次のような活動を想定できます。
●廃用土器の破壊と焚火による焼骨生成が1回の活動(祭祀)で一緒に行われた。
この活動想定から次のような状況を想像できます。
●廃用土器と生きた幼獣(シカあるいはイノシシ)を持参して西根遺跡に丸木舟で集団がやってくる。
●祭壇(イナウ)を設置し、飾り弓を使ったイオマンテ類似祭祀が行われる。
●獣の頭骨は祭壇に飾り、体部は焼いて集団が食べる。
●残った骨は焼いて骨灰(焼骨)とする。
●焚火の近くで廃用土器を破壊する。
(私はこの活動を堅果類収穫祭の一環であり、印旛浦広域集落群共同の取り組みであり、手賀浦地域との交流の場であり、印旛浦と手賀浦を結ぶミナトの移動(廃絶)ともかかわると考えています。)

このように想像すると次の諸点で発掘情報と整合します。
1 土器片の間に炭化物と焼骨が混ざって出土する。
2 頭骨は祭壇に飾られて放置されるので腐り、土層中に残りにくい。
3 自生する灌木を利用して現場でつくる祭壇(イナウ)は包含土層中に残り、木質(自然木)として出土している。
4 集落から持参した製品としてのイナウは「杭」として出土している。イオマンテ類似祭祀で使った飾り弓は出土。
5 包含層上下の土層から多くの木質が出土していることから、縄文時代後期の戸神川谷津は灌木が豊富であったと考えることができる。従って祭壇(イナウ)づくりはもとより、獣を調理したり焼骨をつくるための焚火の材料には事欠かなかった。

3 焼骨づくりに関する検討項目の考察
焼骨づくりのイメージがより詳しく湧いてきましたので、焼骨づくりの意義に関する検討が新たな項目として抽出されました。
具体的には次の項目について今後検討を深める必要があります。

●動物を調理して食った後の骨を何故焼いて骨灰(焼骨)にしてその場に存置したのか?
土器破壊と骨灰(焼骨)づくり(その存置)は一体の祭祀活動であると考えます。
その祭祀の意味、土器を破壊する意味、骨を焼いて存置する意味について詳しく検討する必要が項目として浮かびあがりました。
具体的には、骨灰(焼骨)存置行為に祭場を白く修飾する風景機能や祭場を固めて破壊土器が動かないようする土木的機能を縄文人が期待していたのかなどについて検討したいと思います。

4 焼骨分布を指標にした検討項目の考察
焼骨と炭化物と土器片が混然一体となって出土する状況は、その場所が後世の流路で破壊されなかったことを物語っています。
仮にその場所が後世の旧流路と平面図上で重なっていても、断面図上では上下に離れていることを物語ります。
つまり、焼骨分布を指標として後世流路により攪乱を受けていない場所を抽出できることになります。
逆に土器が分布し焼骨は分布しない場所で、後世流路と重なる場所は攪乱をうけた場所である可能性が濃厚になります。焼骨や土器の一部が流出してしまったり、上流から土器が水流で運ばれてきた場所になります。
焼骨分布を指標として西根遺跡の詳細地形特性を明らかにすることができます。
今後詳しく空間分析します。

参考 土器分布図(ウススミ)、時代別流路分布図、獣骨分布図(グリッド)のオーバーレイ図 第3~第5集中地点付近

5 参考 感想
1で引用したとおり発掘調査報告書では焼骨について「これについては今後、他の遺跡との照合が必要である。」と述べています。
この記述は、言外に、焼骨に関してはこれ以上検討しないということを述べていると感じました。
発掘調査報告書における「集中地点の性格と意義」における次の結論的記述には焼骨が検討ファクタとしては含まれていないことが推察できます。
「…何を意味するのか具体的には不明である。現代の針供養とも一面では通じるような感を受けるが、穿った見方であろうか。」

土器集中地点の性格と意義を検討するためには破壊土器だけに着目するのではなく、焼骨も重大な検討成分として一緒に検討することが必須だと考えます。

類似他遺跡の検討結果を丹念に見直し、西根遺跡と比較して西根遺跡の意義を考察する必要性が大切であることは論を待ちません。
しかし、その前に西根遺跡内部の徹底した分析・考察が無ければ、類似遺跡情報ばかり集めても、それがどれだけ使えるか何の保証もありません。

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