大膳野南貝塚後期集落の廃屋墓竪穴住居の機能不明柱穴の中に祭壇柱の柱穴が含まれているのではないかと疑い、その落としどころがどこになるのかシナリオ不明のままですが検討を進めています。
大膳野南貝塚発掘調査報告書では竪穴住居柱穴について主に建物主体部(壁)と張出部に分けてその構造柱を記述しています。
発掘調査報告書で建物主体部(壁)・張出部と記載された柱穴以外の柱穴は図面に表現されているだけで、説明はありません。この説明のない柱穴をこのブログでは機能不明柱穴と称しています。
機能不明柱穴には次のような要素が含まれている可能性があります。
1 祭祀用柱(イナウ、ヌササンなど)の柱穴
2 当該竪穴住居の構造柱の柱穴
3 重複竪穴住居の構造柱の柱穴
4 当該竪穴住居の乾燥施設の柱穴
この記事では2017.12.01記事「大膳野南貝塚 廃屋墓から祭祀跡がみつかるか?」の情報整理結果を踏まえ、廃屋墓と分類された竪穴住居について詳細に祭祀用柱が見つかるか個別に検討します。
1 加曽利E4~称名寺古式期 J88竪穴住居
1-1 特徴
・北貝層に埋まって存在している加曽利E4~称名寺古式期の竪穴住居であり、竪穴住居が居住に使われていた時期はこの場所に貝層は存在していなかったと考えられます。
J88の位置
・漆喰炉が存在しない唯一の廃屋墓竪穴住居です。この時期にはまだ漆喰炉、漆喰床がありません。貝殻を砕いて漆喰をつくり家屋建設の素材として使うという技術開発以前の状況であったと考えることができます。
・J88から出土する遺物は炉甕、石斧、石錐だけであり他の廃屋墓のように多量の土器・石器・骨角器・貝製品や獣骨が出土しません。この事実はこの時期はまだ集落が貧しかったからであると想定します。
・人骨は壮年男で、その最終形が集骨となっています。
J88廃屋墓の集骨の様子
・骨には他の廃屋墓人骨のほとんどの場合と同じく齧歯類がかじった跡があります。竪穴住居床面に置かれた遺体が腐敗あるいはミイラ化するような時間(モガリ)があり、その時にネズミ等にかじられたと想定できます。
・腐敗あるいはミイラ化してネズミ等に食べられ、最後に白骨化した段階で人骨が意図的に集められた姿(配置構成された姿)が発掘された状態であると考えられます。
・このような集骨は他の廃屋墓では見つかりませんから、集骨という行為はこの時期特有の葬送形式であったと考えることができます。
・次の時期以降は主に伸展の姿で葬られますから、葬送文化の大きな転換が存在したと想像します。
1-2 機能不明柱穴の検討
発掘調査報告書ではJ88に機能不明柱穴はありません。
しかし「主体部・周辺柱穴」に分類された柱穴をよく見ると、炉のそばに壁柱穴としては到底考えられないものが含まれています。
炉のそばの柱穴深度は深いものではないので建物の主柱(大黒柱)として考えることは困難です。
この炉のそばの柱穴を祭壇(祭祀用柱)と考えると、その方向が東西性であり、北に向かって拝む施設として合理的に想定できます。
J88が廃屋となってから祭壇が設けられた可能性を検討対象とすることができます。
同時に炉の近くの柱穴は家屋が生活で使われていた時のモノの乾燥施設の柱であった可能性も否定できません。
J88 検討
1-3 感想
柱穴の分布から、J88に祭壇施設あるいは乾燥施設のどちらかが存在したようだと推測できただけでも、自分にとっては大きな学習成果となりました。
また集骨という葬送形式が集落最初期(加曽利E4~称名寺古式期)にだけ存在して、その後漆喰炉・漆喰床の時期(称名寺~堀之内1古式期以降)になると葬送文化も変化したことを知りました。葬送の変化と技術変化(生業変化?)が一挙に生じたということは集団の入れ替わりがあったことを物語っているのかもしれません。
つづく
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