大膳野南貝塚 廃屋墓の機能不明柱穴の検討 16
2017.12.22記事「非貝塚形成集団と貝塚形成集団の入れ替わり」と2017.12.24記事「人骨出土竪穴住居分布で気が付いた貝塚集落特性」を書いて、発掘調査報告書のそもそもの集落時期区分の扱いに大いなる疑問が浮かびあがりましたのでメモしておきます。
大膳野南貝塚後期集落の漆喰・貝層出土非出土別竪穴住居数をまとめると次のようになります。
大膳野南貝塚後期集落 漆喰・貝層出土非出土別竪穴住居数
加曽利E4~称名寺古式期と称名寺~堀之内1古式期の数値がなにか変です。
もし漆喰・貝層出土竪穴住居住民つまり漁業従事者がより新しい形式の土器を使い、漆喰・貝層非出土竪穴住居住民つまり漁場従事者をサポートする劣位階層の人々がより古い形式の土器を使っていたならば、加曽利E4~称名寺古式期と称名寺~堀之内1古式期は同じ時点になります。
そのような考えで上記統計表を調整して再集計すると次のようになります。
大膳野南貝塚後期集落 漆喰・貝層出土非出土別竪穴住居数(集計時期調整)
集落の最初期に集団の入れ替わりがあったのではなく、最初から漁業従事集団(集落支配集団)とその配下の劣位階層の人々がセットで入植してこの集落を形成した可能性が浮かび上がります。
0 件のコメント:
コメントを投稿