私の散歩論

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2018年2月3日土曜日

集落変遷と竪穴住居面積 大膳野南貝塚後期集落

大膳野南貝塚後期集落の出土物による竪穴住居検討 15

大膳野南貝塚後期集落の変遷と竪穴住居面積の関係を観察してみました。

1 後期集落の変遷

時期・漆喰貝層有無別竪穴住居軒数
称名寺式期前後期を集落創始期、堀之内1式期を急成長ピーク期、堀之内2式期を急減退期、堀之内2~加曽利B1式期と加曽利B1式を衰退期として捉えたみました。

2 後期集落の竪穴住居面積の変遷

時期・漆喰貝層有無別竪穴住居平均面積(㎡) 竪穴住居別面積は発掘調査報告書記載数値を利用
創始期→急成長ピーク期→急減退期の順に漆喰貝層有竪穴住居も漆喰貝層無竪穴住居も平均面積が増加しています。
平均面積が増加したということはそれだけ多量の木材、あるいは太い木材を必要とし、恐らく建築や維持管理に要する手間もかかるので「豊かさ」を表現していると捉えてみます。
創始期→急成長ピーク期は集落成長の条件が整っていたので竪穴住居面積が増大するのはそのまま理解できます。
急成長ピーク期→急減退期は集落成長の条件が失われ集落が崩壊する過程ですが、この過程で竪穴住居面積が増大することの意味は、残った家族は「豊かさ」があったからだと考えます。
逆に考えると集落成長の条件が失われ集落崩壊が始まり、集落からの離散、死滅などで竪穴住居軒数が減る中で、残った家族は集落の最有力家族であったと考えます。
集落崩壊を進める条件が厳しいので最有力家族(最上位家族)以外の経済的に下位・中位・上位家族は全て集落から脱落したと考えます。

創始期と急成長ピーク期では漆喰貝層有竪穴住居の方が漆喰貝層無竪穴住居より竪穴住居平均面積が大きくなっています。
さらに衰退期には漆喰貝層有竪穴住居が消滅することを合わせて考えると、急減退期に漆喰貝層有竪穴住居家族と漆喰貝層無竪穴住居家族の力関係の逆転の芽生えが生れていると考えます。
漆喰貝層有竪穴住居が消滅した衰退期(堀之内2~加曽利B1式期)になると漆喰貝層無竪穴住居からの遺物出土量が急増し、あたかも漆喰貝層有竪穴住居の替わりとして登場したように観察できます。

3 後期集落変遷の背景要因
上記情報だけから後期集落変遷の要因をつきとめることはできませんが、ここでは考えられる要因をメモしておきます。

3-1 集落創始要因
・この場所が開いていた。適当な広さの台地面が存在し、2-3㎞以内に別集落が存在しないで、谷津を下ると村田川河口海域に到達できる場所が未利用空間として存在していた。

3-2 集落成長要因
・村田川河口海域での採貝・漁業活動を発展できた。(漁業権の確保、漁場の存在)
・シカ、イノシシ等の狩猟活動も行えた。(狩猟権の確保、猟場の存在)
・主食となる堅果類や木材等を確保できた。(近隣集落と競合しない独自領域の確保)

3-3 集落減退・衰退・消滅要因
・海退現象による村田川河口海域の消滅。(漁場の陸化による漁業権の自然消滅)a
・急成長ピーク期人口急増に起因する環境破壊(樹木伐採・裸地化・斜面浸食等)から生れた主食堅果類や木材の不足。b
・より魅力的な移住可能空間の出現。(印旛浦方面)c

現時点ではa、b、cの全てが集落減退・衰退・消滅の主要要因であると想定します。

4 参考 時期別・漆喰貝層有無別竪穴住居分布

称名寺式期前後期竪穴住居分布

堀之内1式期竪穴住居分布

堀之内2式期竪穴住居分布

堀之内2~加曽利B1式期竪穴住居分布

加曽利B1式竪穴住居分布

後期(詳細時期不明)竪穴住居分布



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