大膳野南貝塚後期集落 土坑の再検討 43
大膳野南貝塚後期集落の土坑一次用途を次のように分類して考察を進めています。
・貯蔵土坑
・特殊用途土坑(屋根付き土坑)
・動物食関連送り場土坑
・植物食関連送り場土坑
・トイレあるいは植物食関連土坑
・土坑墓
・柱穴
この記事では動物食関連送り場土坑の意義を人の埋葬関連遺構との空間関係に基づいて検討します。
1 動物食関連送り場土坑について
動物食関連送り場土坑という名称は生硬な表現ですから、記事表題は「貝・獣骨送り場土坑」としました。
動物食関連送り場土坑とは規模(深さ、平面積等)が小さく、貯蔵土坑として建設されたとは考えられない土坑で、かつ貝が出土する土坑です。多くは獣骨が出土します。また土器はほとんどの土坑から出土し、石器や骨角器・貝製品を伴うものもあります。
出土物から貝食や獣肉食が行われその貝殻や骨が投げ込まれていて、また石器等も出土することから何らかの祭祀に関連した遺構であると想定しました。
祭祀の内容(送りの内容)は当初次の2点を想定しましたが、この記事で明らかになったように「人の送り」の跡であることが明らかになりました。
●動物食関連送り場土坑の当初想定
1 「貝や獣の送り」
2 「人の送り」
2 動物食送り場土坑の時期変遷
2-1 加曽利E4~称名寺古式期
加曽利E4~称名寺古式期
動物食関連送り場土坑は1基観察され、廃屋墓(集骨葬)から1.5mの直近にあります。
2-2 称名寺~堀之内1古式期
称名寺~堀之内1古式期
動物食関連送り場土坑は4基観察され、うち1基は床下墓坑のある竪穴住居に接して存在しています。
2-3 堀之内1式期
堀之内1式期
堀之内1式期と特定できる情報だけから作成した情報図ですが、堀之内1式期は集落急成長期であり、遺構の時代判定が「堀之内式期」「後期」「詳細時期不明」とされたもののほとんどが堀之内1式期であると想定できます。
そこで厳密性は減じますが、情報の豊かさが格段に向上し堀之内1式期の実態により迫ることができると考えますので、「堀之内1式期」と「堀之内式期」「後期」「詳細時期不明」を合わせた情報図(堀之内1式期(総合推定))を作成して堀之内1式期の検討を行うことにします。
2-4 堀之内1式期(総合推定)
堀之内1式期(総合推定)
39基の動物食関連送り場土坑が観察できますが、10m以内に埋葬関連遺構がない土坑は一番北の1土坑、西貝層付近3土坑、集落中央部1土坑の5基だけです。他の34基はすべて廃屋墓、土坑墓・廃土坑墓、単独埋甕等の近く(10m以内)に存在します。動物食関連送り場土坑が人の埋葬に関連した遺構であることが推察できます。
具体的には埋葬遺構(廃屋墓、土坑墓・廃土坑墓)が祭祀の結果埋まってしまった後、その周辺に動物食関連送り場土坑を建設して引き続き祭祀を継続できるようにしたのではないだろうかと想像します。
2-5 堀之内2式期
堀之内2式期
7基の動物食関連送り場土坑が観察できます。4基は北貝層近区の廃屋墓近くに存在していてその廃屋墓との関係に着目することができます。
集落の北→西→南に離れて存在する3基の動物食関連送り場土坑は前の時期である堀之内1式期の埋葬関連遺構に関連するのではないだろうかと想像します。
堀之内1式期の廃屋墓、単独埋甕、土坑墓に関連する祭祀(特定故人の冥福を祈る祀り)が堀之内2式期にも継続してこのような動物食関連送り場土坑分布図になったと考えます。
そのように考えると最初の南貝層付近の4基も堀之内1式期の廃屋墓との関係を否定することはできません。
2-6 堀之内2~加曽利B1式期
堀之内2~加曽利B1式期
情報が少なくて意味を汲み取ることが困難です。
2-7 加曽利B1~B2式期
加曽利B1~B2式期
情報が少なくて意味を汲み取ることが困難です。
2-8 全期集成
全期集成
全期の情報を集成しました。
動物食関連送り場土坑53基のうち47基が人の埋葬遺構近くに存在します。動物食関連送り場土坑は人の埋葬と関わる祭祀遺構であることが強く想定できます。
逆の見方をすると人の埋葬遺構には動物食関連送り場土坑が伴うといえます。
北貝層と南貝層の分布域が動物食関連送り場土坑の密集域と略一致します。また西貝層にも動物食関連送り場土坑が存在します。この分布事象から貝層形成(貝塚形成)と動物食関連送り場土坑建設が関連している可能性を感得することができます。
埋葬施設とそれに関連する動物食関連送り場土坑が核になって貝層が形成された(貝塚が形成された)という仮説が浮かび上がらざるを得ません。
貝塚とは人の送り場の集合風景であるという仮説になります。
2-9 参考 全期集成 獣骨出土情報付
参考 全期集成 獣骨出土情報付
全期集成情報図の中の動物食関連送り場土坑に獣骨出土があるものに〇を付けて表示しました。
獣骨出土のある動物食関連送り場土坑はより活発な祭祀活動が存在していたと考えることができます。
獣骨出土のある動物食関連送り場土坑と埋葬関連遺構、貝層の全体分布はきれいな環状となり縄文人の描いていた送り場ゾーンつまり貝塚ゾーンを把握できたと考えます。
3 まとめ
・動物食関連送り場土坑は人埋葬遺構に関連する祭祀の場であったと想定できます。
・動物食関連送り場土坑は人埋葬遺構における祭祀が終了した後、その故人に関連した祭祀を行う場であったと推察できます。
・人埋葬遺構と動物食関連送り場土坑が核になって貝層(貝塚)が形成されたと想定できます。つまり貝層(貝塚)は人送り場の蓄積集合体であると考えることができます。
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