私の散歩論

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2018年9月6日木曜日

事例学習 草刈貝塚

村田川河口低地付近縄文集落の消長分析 9

1 草刈貝塚の概要
草刈貝塚は村田川右岸台地上に立地する縄文中期の環状集落部分である。
貝塚が形成された縄文時代中期には、台地の南側にあたる低地に河口干潟が入り込んでいた。

草刈貝塚の位置

遺構群は長径130×短径80mの範囲に帯状に集中しており,住居群は外側,土坑群は内側に配される傾向にある。中央には1基の土坑を除くと遺構はなく,いわゆる環状集落の典型である。遺構は阿玉台Ib式期から加曽利EⅢ式期に造られ,そのうちほぼ加曽利EI式期までの環状の最も外側の遺構には約90か所の遺構内貝層が形成された。また,南側斜面には斜面貝層が埋没していた。貝層は全体として点列環状型を呈している。

2 検出遺構
竪穴住居跡は約300軒検出された。B区について時期的にみると阿玉台Ib・II式期14軒,阿玉台Ⅲから中峠式期39軒,加曽利EI式期34軒,加曽利EⅡ式期56軒である。土坑群は住居群のやや内側,外径100×70m,幅20mほどの帯状に1000基以上が著しく重複して造られている。475号跡は例外的に中央の無遺構地帯に造られた土坑である。柱が立ったまま埋め戻されたことがわかる。
貝層は遺構内に堆積したものが中心である。斜面貝層の先端部が発見されている。

遺構分布図

3 主な出土物
出土遺物は膨大な量である。全面調査されたなかでは,県内最大の縄文中期集落であり,それにみあう遺物量である。土器・石器などは基準資料となるものであるし,土器片錘の点数は国内でも最多であろう。中期としては装身具類も多く,大珠や鹿骨製腰飾は優品である。石鏃や剥片の索材はほとんどが黒曜石であり, B区の産地同定ではほとんどが神津島産(不明を除く178点のうち173点, 97%)であり,ほかの産地は信州系4点,箱根系1点にすぎない。

鹿骨製腰飾と大珠

4 生業の内容
当時,南斜面下の谷に広がっていた河口干潟でイボキサゴ漁・ハマグリ漁・小魚の網漁を盛んに行い,その奥の淡水域でもいくらか漁が行われたものとみられる。漁具と考えられる遺物としては,主に,網のおもりとして使われた土器片錘千点と,小型の刺突具数点が出土している。魚骨と漁具からみて,特定魚種を選択して捕らえる形態の漁が行われた形跡はない。
一方,打製石斧や磨石も多数出土しており,地下茎類や堅果類を中心とした植物資源も盛んに利用したことがわかる。出土人骨15体の炭素・窒素同位体比による食性分析によっても,植物を中心とした陸産資源と,魚貝類を中心とした海産資源をバランスよく活かしていたことが裏づけられた。

5 埋葬と人骨
竪穴住居跡21軒・土壙6基から合わせて46体の埋葬人骨が発見されており,関東の縄文中期を代表する人骨資料である。竪穴住居跡内に複数埋葬されたものが4例あること,人骨にともなう遺物が豊富なこと,骨の一部が動いたり,失われていたり,あるいは埋葬後に頭骨に土器を被せるなど,埋葬後の改変が多く認められることなどが特徴としてあげられる。埋葬遺構の配置は,ほぼ貝層の分布, 住居跡の分布と一致している。装身具類が出土した土壙も上記の分布と一致し,埋葬遺構ととらえられよう。したがって,貝によって人骨が遺存したという偶然だけではなく,埋葬の区域が決められ, 主に住居跡内が選ばれたことを示すと思われる。

人骨・装身具の分布

埋葬人骨出土例

複数埋葬遺構例

6 感想
大膳野南貝塚(縄文後期集落)と比較してみます。
●集落立地場所
共に台地面に立地しますが、草刈貝塚は海のすぐそば、大膳野南貝塚は海から4km程度離れています。草刈遺跡は台地面の端ですが、大膳野南貝塚は台地尾根全体を占拠するように立地しています。草刈遺跡は斜面部に竪穴住居はないようですが、大膳野南貝塚は谷津にいたる斜面部にも竪穴住居が分布します。
その場所に集落を最初に立地させたときの「集落立地のための好適条件」が異なっていたように思えます。「集落立地戦略」が異なります。
●遺構の環状分布
草刈遺跡は貝層の面的分布は竪穴住居と重複する部分にはありません。大膳野南貝塚は竪穴住居分布と重複して環状貝層が分布します。
草刈遺跡と大膳野南貝塚ともに貝層を伴う竪穴住居と貝層を伴わない竪穴住居の2種が分布しその分布の大要が内側(貝層無住居)、真ん中(貝層有住居)、外側(貝層無住居)で一致します。
草刈遺跡は竪穴住居分布の内側に土坑が分布します。一方大膳野南貝塚の土坑はこのような明確な内側分布は見られません。

参考 大膳野南貝塚後期集落 遺構分布
時代の異なる2つの貝塚集落に見られるこれら遺構分布の共通事象と異なる事象について、その理由検討を当面学習の検討課題とします。
●人骨出土
草刈貝塚も大膳野南貝塚も(貝層出土の)竪穴住居を主な埋葬場所としている点では共通します。埋葬の仕方についての大要も2つの貝塚で一致するような感覚をもちます。(それだけに大膳野南貝塚の漆喰貝層無竪穴住居から出土した集骨葬の人骨は異様な感じを受けます。)

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