私の散歩論

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2018年11月25日日曜日

千葉県貝塚 大枠時代別集計とその分布

貝塚を例とした千葉県遺跡DB活用方策の検討 4 大枠時代別集計とその分布

千葉県貝塚遺跡を大枠の時代別集計をして、その分布を概観してみました。

1 貝塚の大枠時代別集計

千葉県 種別「貝塚」を含む遺跡の年代別集計
種別に貝塚が含まれる遺跡の時代を「縄文時代だけ」「縄文時代と弥生時代以降」「弥生時代以降」の3区分してみました。遺跡には貝塚だけでなく他の種別(例 包蔵地、集落跡…)も含まれている場合がありますから、遺跡の時代は貝塚形成の時代とは限りません。しかし統計大勢的な意味で貝塚形成年代を推察できる資料にはなると考えます。
「縄文時代だけ」の貝塚遺跡が434、「縄文時代と弥生時代以降」が227で合計661(88%)ですから貝塚のほとんどが縄文時代に存在していたことになります。「弥生時代以降」の貝塚遺跡は79で全体の約10%となります。
なお、参考までに貝塚遺跡から旧石器時代遺物が出土した遺跡の数は75となります。
年代別集計結果を地図にプロットして、分布面からの特徴があるか観察してみました。

2 年代別集計結果の地図プロット

千葉県 種別「貝塚」を含む遺跡 年代 縄文時代だけ

千葉県 種別「貝塚」を含む遺跡 年代 縄文時代と弥生時代以降
「縄文時代だけ」と「縄文時代と弥生時代以降」遺跡分布の大要は類似しているように観察できます。しかしその二つを比較するとある顕著な特徴が現れます。

千葉県 種別「貝塚」を含む遺跡 年代 弥生時代以降
「弥生時代以降」の分布をみると、東京湾付近では干潟に立地するものはありません。ところが九十九里では干潟の砂洲に立地するものがあります。貝塚の分布範囲が「弥生時代以降」に明瞭に拡大しています。貝塚を形成した縄文人の末裔は「弥生時代以降」になると東京湾では以前と同じ場所で居住したり、貝塚を形成しましたが、九十九里では縄文時代の貝塚付近の場所を捨てて干潟に進出して新たな貝塚を形成する場合が多くみられたと言える可能性があります。検討に値する現象を見つけることができました。

千葉県 種別「貝塚」を含む遺跡 年代 年代別地図の重ね合せ
地図が小縮尺のため明瞭とは言えませんが、貝塚が集中している市川-松戸付近と千葉市付近をくらべると千葉市付近の方が貝塚全体に占める「縄文時代と弥生時代以降」の割合が多いように感じられます。図のオーバーレイは赤(「縄文時代だけ」)が上、黄色(「縄文時代と弥生時代以降」)が下になっていますが、市川-松戸付近では黄色が隠れてしまいますが、千葉市付近では黄色が目立ちます。
千葉県の縄文時代で貝塚が特に集中した場所2箇所のうち千葉市付近の方が弥生時代以降になってもその貝塚付近が集落として継続している割合が多かったという仮説が浮かび上がります。この仮説が正しいかどうか大いに検討する価値があると思います。
千葉市付近の縄文人集落の特徴が縄文語で語り継がれて地名「千葉」が生れたという「地名「千葉」は縄文語起源 梅原猛仮説」を検討している現在、千葉市付近で貝塚遺跡の多くが弥生時代以降も集落等として存続していたという事実は大変興味が湧きます。

千葉県 種別「貝塚」を含む遺跡 参考 旧石器時代を含む
多くの事例が旧石器時代遺跡の場所に後年にたまたま貝塚が形成されたものであると考えます。しかし、場合によっては旧石器時代から縄文時代草創期・早期に貝塚が形成されるまで継続して旧石器時代人→縄文時代人が生活に利用していた場所であることが想定できる遺跡が含まれているかもしれません。その可能性のある遺跡を個別に検討してみる学習上の価値はあると考えます。

3 感想
貝塚を対象に遺跡DBの年代大枠を分析しただけでも興味のある事象を複数見つけることができました。さらに貝塚を対象に縄文時代を細分化して分析すれば貝塚文化変遷検討に関わる基礎資料を得ることができると考えます。

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