私の散歩論

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2019年5月14日火曜日

称名寺式土器 餅ヶ崎遺跡

縄文土器学習 123

縄文土器を形式別に観察しています。
この記事では加曽利貝塚博物館に展示されている縄文後期初頭土器様式である称名寺式土器(千葉市餅ヶ崎遺跡出土)を観察します。

1 称名寺式土器の観察

称名寺式土器 千葉市餅ヶ崎遺跡出土 加曽利貝塚博物館展示 ガラス越し撮影

称名寺式土器上半部拡大 千葉市餅ヶ崎遺跡出土 加曽利貝塚博物館展示 ガラス越し撮影

称名寺式土器下半部拡大 千葉市餅ヶ崎遺跡出土 加曽利貝塚博物館展示 ガラス越し撮影

・胴部くびれ部分があります。そのくびれで模様構成が2段に分かれています。
・J字文を含むモチーフが深い沈線でつくられ、その内部が縄文で満たされています。沈線外部の縄文は磨り消されていますが、十分に消されていません。

2 「日本土器事典」における称名寺式土器記述の抜粋
「関東地方の縄文文化後期初頭の型式。
その祖型については西日本に求める考え方が有力であるものの、一方西日本では、中津式の成立を東日本の影響とする考え方があり未解明の部分が多い。
器形
ロ縁がやや外反し、胴上半部にくびれ部を持つ深鉢が基本形であり、平縁のものと波状縁のものがある。波状縁は4単位が多い。また、Ⅰ式後半からは波頂部に把手をもつものがあり、そのうち一つだけ大きなつくりになるものもある。深鉢のほかには、量は少ないが浅鉢や塊がある。
文様
平行する沈線によって閉じたモチーフを連続して描き、縄文を充填して、モチーフを浮び上がらせるのがⅠ式の基本であり、無文部分はよく研磨される。使用されることの多いモチーフには、O字状、J字状、剣先状のものがあり、とくにJ字を二段縦に配置する構成が特徴的である。沈線は何度もなぞられ、他の後期の土器に比べて幅が広く、かつ深いことが多い。そのため器壁の薄いものでは、沈線の裏の部分が盛り上がっていることがある。新しい段階になると、文様の配置がくずれ、複雑に入り組んだものとなるため、空白部分が減少し、施文範囲が胴部全般に及ぶようになるとともに、縄文帯の下端が解放されるものが多くなる。
分布
関東地方とその西部に多く見られるが、古いタイプは今のところ南関東でしか見つかっていない。同じ時期の東海や西日本の磨消縄文土器と胴部破片では区別が難しいため、境界線を設けるのは困難であるが、東海東部、中部高地までは分布圏と考えられる。」
「日本土器事典」から引用

3 称名寺式土器の較正年代

称名寺式土器の較正年代
小澤政彦先生講演「東関東(千葉県域)の加曽利E式」資料(2019.02.24)では称名寺式土器の較正年代が4490~4235年前calBPとなっています。

4 称名寺式土器の千葉県域分布

称名寺式土器出土遺跡
私家版千葉県遺跡データベースでは称名寺式は220レコード(遺跡)ヒットします。

称名寺式土器出土遺跡ヒートマップ
加曽利EⅣ式頃の中期社会崩壊直後の様子を表現している興味深い分布図であると考えられます。
縄文中後期の千葉県域最大集落地帯である都川流域-村田川河口域-鹿島川源流域が遺跡密集地域として表現されていません。
詳しい検討は改めて行います。そこでは前後の加曽利E式土器(EⅠ、EⅡ、EⅢ、EⅣ)、堀之内式土器分布との関係をみて、中期社会崩壊について考察します。

5 参考 餅ヶ崎遺跡の場所と情報

ちば情報マップ 埋蔵文化財包蔵地より引用

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