私の散歩論

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2019年7月25日木曜日

諸磯式土器と浮島式土器の分布

縄文土器学習 211

縄文土器形式毎にその出土遺跡の千葉県分布図を作成しています。この記事では前期後葉の諸磯式土器と浮島式土器の分布を観察します。諸磯式土器と浮島式土器は同時併行して空間がオーバーラップして分布しますので一緒に考察します。

1 千葉県 諸磯式土器出土遺跡分布図

千葉県 諸磯式土器出土遺跡分布図
269遺跡がプロットされています。松戸市川付近、千葉市付近に集中分布する様相と、千葉県南東部夷隅川流域付近に散在する様相が特徴的であるように感じます。

千葉県 諸磯式土器出土遺跡分布ヒートマップ
松戸市川付近、千葉市付近に遺跡密集域が現れます。

2 諸磯式土器の細分情報

千葉県 諸磯式土器出土遺跡 細分情報の有無
細分情報のある遺跡は全体の38%です。


千葉県 諸磯式土器細分情報別出土遺跡数
諸磯a式から諸磯b式に増加し諸磯c式で急減するパターンを描きます。

3 千葉県 浮島式土器出土遺跡分布図

千葉県 浮島式土器出土遺跡分布図
浮島式土器は諸磯式土器と時間的に併行して、かつ空間分布的にも重複してしています。
諸磯式土器分布と較べると県北東部にも遺跡密集が見られることと夷隅川流域など県南東部にはほとんど分布しない特性が観察できます。


千葉県 浮島式土器出土遺跡分布ヒートマップ
遺跡集中域だけでなく香取の海沿岸の県北東部に遺跡集中域が現れるのが大きな特徴です。

4 浮島式土器の細分情報

千葉県 浮島式土器出土遺跡 細分情報の有無

千葉県 浮島式土器細分情報別出土遺跡数

5 参考 前期後葉の貝塚分布とその記述 「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」引用
次の図は「千葉県の歴史 資料編考古4(遺跡・遺構・遺物)」掲載図から前期後葉貝塚だけを抽出したものです。 

Ⅲd期(前期後葉)貝塚分布図

●図書の記述
Ⅲd期(前期後葉)は、前時期の主要な貝塚が継続する。
Ⅲd期には奥東京湾沿岸の貝塚数が激減する。

2017.02.15記事「千葉県の貝塚学習 縄文時代前期初頭~中期前葉

6 メモ
・黒浜式土器の後継土器が諸磯式土器のような感じがします。土器形式的にそういう関係があるかという問題とともに、その二つの土器形式を継続して使った人集団が同じ母集団を成していると直観します。このような直観が正しいかどうか今後の学習で確かめることにします。
・諸磯式土器と浮島式土器の分布が異なり、浮島式土器の分布が県東北部に濃く、県南東部に到達していないような印象を受けます。このような分布印象から諸磯式土器利用集団と浮島式土器利用集団は出自が異なる異系統の2集団であると考えます。浮島式土器利用集団は茨城方面から下総台地に移住してきたような印象をうけます。このような考えが正確なものであるかどうか、今後の学習で確かめることにします。
・過去に行った大膳野南貝塚前期集落学習では同一集落内に諸磯式土器がメインに出土する竪穴住居と浮島式土器がメインに出土する竪穴住居が空間的に分離して存在することから、出自を異にする異集団が共同して1つの集落を構成していたと考えました。
大膳野南貝塚 前期後葉 竪穴住居祉 主体別土器形式分布
2017.04.11記事「大膳野南貝塚 前期後葉集落 浮島諸磯別石器出土状況」など多数

在地の諸磯式土器利用集団と北から南下してきた浮島式土器利用集団(流入集団)が共同して一つの集落を形成して協力関係を持っていた状況が大膳野南貝塚の事例で見て取れると考えました。(浮島式土器が主体の竪穴住居の一つは意図的に諸磯式土器を排除したような形跡が見られることから、二つの異集団が協働しつつお互いに緊張感のある独自性を堅持していたことが考えられます。)
・なぜ浮島式土器利用集団が南下したのか、その理由は茨城県の情報を利用するなどして是非とも知らなければなりません。香取の海奥部の貝塚が消滅して(生業の場が海退で縮小して)食い扶持にあぶれた人々が下総台地を目指したのかもしれません。

次の記事で諸磯土器出土遺跡と浮島式土器出土遺跡の関係を考察します。

7 参考 千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

千葉県縄文土器形式別等出土遺跡数

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