私の散歩論

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2020年1月6日月曜日

加曽利博あれもE企画展の佐倉市13土器の3Dモデル作成

縄文土器学習 305

加曽利貝塚博物館で現在開催されている企画展「あれもE これもE ―加曽利E式土器(印旛地域編)―」(2019.11.16~2020.03.01)では自治体別(佐倉市、印西市四街道市、成田市、酒々井町)に加曽利E式土器が展示されています。そのうち企画展前半の佐倉市分13土器について観察記録3Dモデルを作成しました。

企画展の佐倉市分展示(前半)の様子

企画展展示土器の観察記録3Dモデル掲載サイト
https://sketchfab.com/arakiminoru/models

佐倉市分13土器観察記録3Dモデルのサムネール

撮影はガラスのあるショーケース越しに撮影したものであるため、ガラスのない展示と比べると3Dモデルの質には限界があります。またショーケースの端におかれた土器は視線が届く範囲が限られますので、3Dモデルにできる範囲も極限されます。また、ショーケース空間が限られているため、土器と土器の間が狭いので、視線が届かず(視線入射角が極端に小さくなり)観察や3Dモデル作成に影響が出ています。

カメラ配置の例

素3Dモデルの例
素3Dモデルから対象土器を切り抜いて観察記録3Dモデルを作成しています。

観察記録3Dモデルから作成したオルソグラフィック画像の例
(加曽利EⅢ式深鉢(佐倉市内田端山越遺跡)企2 観察記録3Dモデル)

感想
・加曽利EⅡ式期が縄文社会の人口急増期ですが、ここに展示された土器は多くが加曽利EⅢ式とEⅣ式です。佐倉市は鹿島川流域から印旛沼にかけて広がっています。加曽利貝塚をはじめとする東京湾岸地域における顕著な加曽利EⅡ式期の発展ピークの印象を展示から受けることはできません。これは東京湾岸地域と佐倉市など鹿島川流域とでは社会消長の様相が異なるからであると想定できます。以前から、加曽利EⅡ式期の人口急増は東京湾岸の貝塚ゾーンを軸としていて、その後の顕著な衰退期には鹿島川流域方面に人口(集落)が散らばったと考えていますが、それが展示に表現されていることになります。
・昨年の企画展(千葉市編)の展示土器と比べると完形のものが少なく、断片的な資料が多くなっています。土器のつくりも貧弱(雑?)であるような印象を受けます。展示は典型例を表示しようしていると考えられますから、佐倉市出土E式土器の復元があまり芳しくないということは重要な情報であると考えます。加曽利E式土器が出土する遺跡があまり勢いがない(集落が小さい、短期間だけ営まれた)ため、母数が少ない証拠です。
・最近学習した長野県八ヶ岳付近や飯田市付近の土器模様と比べると、加曽利E式土器の模様は大変定型的です。土器模様に物語(活動、情念)を投影しているという感想を持つことはほとんどできません。
・個別土器の観察と考察は別に行います。

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