縄文社会消長分析学習 61
2020.12.20記事「有吉北貝塚の早期遺構」で有吉北貝塚の早期炉穴、早~前期陥穴状土坑の分布について学習しました。この記事ではその分布に遺構外出土早期土器分布図をオーバーレイして考察を深めました。
1 早期炉穴・陥穴・土器分布
有吉北貝塚 早期 炉穴 陥穴 土器分布(2D QGIS画面)
有吉北貝塚 早期 炉穴 陥穴 土器分布(3D Qgis2threejs画面)
2 考察
・遺跡区域は半島状台地になっていて、炉穴は半島状台地の北西部に、陥穴は半島北西部の先端と南東部に分布します。
・炉穴分布域の台地北西部には遺構外土器の分布が密になります。炉穴は一定期間そこで人々がキャンプした場所ですから土器片が沢山残ることは当然です。
・中期に形成された南斜面貝層から沢山の早期土器が出土します。発掘調査報告書では台地面に存在していた早期土器片が中期に貝層に流れ込んだと説明しています。中期の人々が意識して、あるいは意識しないで早期土器片を斜面に捨てたのだと思います。
・陥穴分布域の早期土器分布は極わずかで、陥穴と早期土器の関係を見つけることは困難です。
・3D図を見る中で、半島状台地の南斜面は傾斜が緩やかで日当たりがよい、北斜面は傾斜が急で日当たりが悪いことに気が付きました。炉穴は半島状先端だけでなく、南斜面の縁にも分布しています。この分布から炉穴の設置(つまりキャンプ地の設置)要件の一つとして日当たりのよい斜面が好まれるに違いないという想定が生まれました。日当たりのよい緩斜面があれば動物の皮をなめす時の干場などに有効活用できます。また不要物の送り場としても祭祀がやりやすく好適です。
・おそらく縄文人にとって南斜面は北斜面より価値のある空間であり、その場所に中期南貝層が形成された事になります。
・逆に発想すると、中期北貝層の存在はそれなりに特別の理由があると推定できます。
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