私の散歩論

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2021年1月9日土曜日

有吉北貝塚 中期集落の趨勢

 縄文社会消長分析学習 70

有吉北貝塚の発掘調査報告書掲載情報を材料に分析的学習をはじめています。この記事ではまず中期遺跡の概要を把握することが必要と考え、最初の作業として、土器分類と竪穴住居軒数を手掛かりに集落の趨勢を概観してみました。

1 有吉北貝塚中期土器分類

発掘調査報告書における中期土器分類を一覧表にまとめると次のようになります。


有吉北貝塚中期土器分類

この分類の自分なりの理解は順次行うことにします。加曽利E式土器の分類は今年で3年目になる加曽利貝塚博物館企画展(「あれもE…」)である程度学習させていただいていますが、阿玉台式土器、中峠式土器についてはほとんど知識がないのが現状です。この学習の中で、阿玉台式土器、中峠式土器についてある程度イメージができればうれしいことです。加曽利E式土器についてもこれまでの学習がどれだけ役立つか、学習が楽しみです。

2 土器分類別竪穴住居軒数


有吉北貝塚 中期 土器分類別竪穴住居数

竪穴住居170軒のうち138軒の継続時期が出土土器から推定されています。この情報をグラフにしました。

阿玉台式期の竪穴住居軒数は漸増し、出土土器数も漸増するようです。この時期の貝層形成は発掘調査報告書では考えられていないようです。

中峠式期に竪穴住居軒数は急増し、南斜面貝層が形成されました。

第7類の段階が竪穴住居軒数のピークです。しかし第8類の段階に竪穴住居軒数は急減します。加曽利EⅠ式期に生じた極端な変動に興味が湧きます。

第9類の段階(加曽利EⅡ式期)に入ると竪穴住居軒数は少し持ち直します。このころ北斜面貝層への遺物投棄が盛んです。

第10類、第11類での竪穴住居軒数は低迷し、その後集落は消滅します。

3 メモ

発掘調査報告書情報を分析する前のイメージでは加曽利EⅡ式期に集落のピークがあるのではないかと想像していましたが、竪穴住居軒数を指標にする限りでは、ピークは加曽利EⅠ式期最初(第7類の段階)になります。

加曽利EⅡ式期の遺物が北斜面貝層から多量にかつ充実して出土しているので、それに心理影響を受けて誤ったイメージを持ってしまっていたようです。

加曽利EⅡ式期(第9類~第11類の段階)は趨勢的には衰退期であり、当事者は苦しみながら困難を克服しようとしていた時期だということがわかりました。

南斜面貝層のメインの出土物は中峠式期(第6類)です。一方、北斜面貝層のメインの出土物は加曽利EⅡ式期(第9類~第11類)のものようです。加曽利EⅠ式期の遺物の出土は北斜面貝層と南斜面貝層の双方から出土していますが、その時期が集落ピークであると考えると、出土量が少ないようなイメージを持ちます。南斜面貝層→北斜面貝層という使い分けがどうして行われたのか、興味が深まります。


有吉北貝塚

向かって左のブルー塗色が北斜面貝層、右が南斜面貝層


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