私の散歩論

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2023年1月31日火曜日

加曽利EⅣ式深鉢(No.34)(市原市武士遺跡) 塗色版3Dモデル

 Kasori EIV type deep bowl (No.34) (Takeshi site,Ichihara City) Painted version 3D model


I made a Painted version 3D model of the Kasori EIV type deep bowl (No.34) (Takeshi site,Ichihara City) .This pottery is a horizontal cooperation arc line pottery with a large number of arc patterns.


加曽利EⅣ式深鉢(No.34)(市原市武士遺跡)の縄文施文域を塗色した3Dモデルを作成しました。この土器が弧線文の数がとても多い入組系横位連携弧線文土器であることがよくわかります。

加曽利EⅣ式深鉢(No.34)(市原市武士遺跡) 塗色版3Dモデル

縄文施文域を塗色

撮影場所:加曽利貝塚博物館令和4年度企画展「あれもEこれもE 加曽利E式土器」(内房地域編)  

撮影月日:2023.01.12 


Photoshopによるテクスチャ画像塗色の様子

ガラスショーケース越し撮影

3DF Zephyr v6.513で生成 processing 135 images

Kasori EIV type deep bowl (No.34) (Takeshi site,Ichihara City) Painted version 3D model

Painting the Jomon pattern area

Location: Kasori Shell Mound Museum 2022 Special Exhibition "That's also E..." (Uchibo area edition)

Shooting date: 2023.01.12

Shooting through a glass showcase

Generated with 3D model photogrammetry software 3DF Zephyr v6.513 processing 135 images


3Dモデルの動画


3Dモデル画像


2023年1月30日月曜日

加曽利EⅣ式深鉢(No.34)(市原市武士遺跡) 観察記録3Dモデル

 Kasori EIV type deep bowl (No.34) (Takeshi site,Ichihara City) Observation record 3D model


I made a 3D model of the observation record of the Kasori EIV type deep bowl (No.34) (Takeshi site,Ichihara City) and observed it.This pottery is a horizontal cooperation arc line pottery with a large number of arc patterns.


加曽利EⅣ式深鉢(No.34)(市原市武士遺跡)の観察記録3Dモデルを作成して観察しました。この土器は弧線文の数がとても多い入組系横位連携弧線文土器です。

1 加曽利EⅣ式深鉢(No.34)(市原市武士遺跡) 観察記録3Dモデル

加曽利EⅣ式深鉢(No.34)(市原市武士遺跡) 観察記録3Dモデル

撮影場所:加曽利貝塚博物館令和4年度企画展「あれもEこれもE 加曽利E式土器」(内房地域編)  

撮影月日:2023.01.12 


展示の様子

ガラスショーケース越し撮影

3DF Zephyr v6.513で生成 processing 135 images

Kasori EIV type deep bowl (No.34) (Takeshi site,Ichihara City) Observation record 3D model

Location: Kasori Shell Mound Museum 2022 Special Exhibition "That's also E..." (Uchibo area edition)

Shooting date: 2023.01.12

Shooting through a glass showcase

Generated with 3D model photogrammetry software 3DF Zephyr v6.513 processing 135 images


3Dモデルの動画

2 GigaMesh Software Frameworkによる展開


GigaMesh Software Frameworkによる展開

3 メモ

GigaMesh Software Frameworkによる展開図に縄文施文域を塗色すると次のようになります。


縄文施文域塗色図

沈線で区画される縄文施文域の分布から、この土器は弧線文の数が多数にのぼる入組系横位連携弧線文土器であることが確認できます。


参考 最も単純な入組系横位連携弧線文土器の例


松本清張「天保図録」に登場する化灯土対策としての「流堀り工法」

 花見川よもやま話 第7話


"Method of sinking and digging" as a countermeasure against peat soil that appears in Seicho Matsumoto's "Tenpo Zuroku"


Seicho Matsumoto's "Tenpo Zuroku" introduces the "Method of sinking and digging" as the most difficult countermeasure against the peat soil in the Inbanuma moat construction. Toyo Kurihara analyzes and examines this novel in his 1972 book Inbanuma Development History, which is interesting, so I made a note of it.


松本清張「天保図録」に印旛沼堀割普請における最難関の化灯土対策として「流堀り工法」が登場します。この小説について栗原東洋が「印旛沼開発史」(1972年)のなかで分析検討していて興味深いので、その様子をメモしました。

なお、この記事は2011.03.28記事「松本清張「天保図録」に登場する秘法「流堀り工法」」の再掲です。


松本清張「天保図録」(上、下)と栗原東洋「印旛沼開発史」(第1部上巻)

以前の記事でも書きましたが、WEB経由での格安古書購入が、私の最近の癖になっています。「印旛沼開発史」(全4巻、栗原東洋著)、「印旛沼開発工事誌」(水資源開発公団印旛沼建設所)などが手に入りました。北海道や名古屋の古書店から申し訳ないような値段で入手できました。花見川のことを考える上で基本図書ですから手元においていつでも見れるようできました。

 いつぞやにはこれらの本を解体、スキャンして透明テキスト付きpdfにして、パソコンの中で検索しながら利用できるようにしたいです。しかし、そうする時間がもったいないので、当面紙の本で使うしかありません。

 さて、「印旛沼開発史」(栗原東洋著)のページをめくっていると天保工事の記述の中に「流し堀工法と御普請方秘伝という説」という項目があります。この中で、松本清張「天保図録」の記述が引用され、検討されています。興味を持ちましたので、古書購入サーフィンよろしく、WEB経由で松本清張全集27巻「天保図録 上」、28巻「天保図録 下」(文芸春秋社)を購入してみました。

 松本清張「天保図録」は昭和37年から昭和39年にかけての3年間週刊朝日に連載された天保改革を主題にした長編歴史小説です。あとがきで著者みずから「だいたい、史実に沿って書いてきた」と述べています。史実と違う部分を自ら指摘して「あえて考証家の指摘に備えておく」と書いているほどです。

 小説の後半で、天保改革を主導した老中首座の水野忠邦によって開始された印旛沼開鑿(かいさく)が舞台となります。

 印旛沼開鑿の終盤で、目付鳥居耀蔵が大和田あたりから花島観音まで、雨中の氾濫工事現場を視察します。工事の失敗が明白となっている現場です。鳥居は、その結果をわざと隠して、工事が順調であるように老中水野忠邦に報告します。鳥居の魂胆は水野がこの工事を続けて工事の失敗を確実なものにすることにあったのです。鳥居の楽観的な報告に疑問を持った水野が別の正確な報告をした者と対決させる場面があります。ここで鳥居が、難渋している化灯土対策として、御普請方の秘事として伝えられている関東流の「流堀り」工法を使えば、工事は順調に進むと述べます。それで対決に勝利します。

 「流堀り」工法とは、人力ではなく、洪水の流水パワーを利用して土砂(ここでは化灯土)を掘削流下させる工法です。

 結果、水野は失脚していき、鳥居の裏切り、保身が一時成功します。小説はそのように続いていきます。

 松本清張は、鳥居が「流堀り」工法を知った根拠として、鳥居の関係する印旛沼開鑿関係技術者が幕府の書庫から享保普請の際の地元庄屋の上申書を見つけ、その中に化灯土対策として「流堀り」工法の具申があったとしています。(その上申書の内容はその後関東流工法の中に組みいられ御普請方の秘事となったとも書いています。)

 この小説を栗原東洋は「印旛沼開発史」の中で詳しく取り上げています。そして、小説だからしかたがないが、出典を明らかにしていないのでそのまま鵜呑みにできない、しかし「いかにもありそうなこと」であるとしています。

 これに加えて、栗原東洋は天保工事の第三工区(第三の手)の現場監督の1人であった新津順次郎が工事中止後、工事再開を求めた意見書を提出し、その中で化灯土対策として「流堀り」工法を提案していることを紹介しています。そのときの具体的工法は、単に水勢を利用するだけでなく、堰上げの方法で人為的に洪水を起こす方法であることが記述されています。

 なお、松本清張の「天保図録」は花見川の現場を視察してこの小説を書いただけあって、大和田から花島付近までの地物の記述は、よく特徴をつかんでいるように思いました。特に、柏井村付近を鳥居が通る際、竹薮の場面を書いていますが、別の記事(花見川上流紀行17竹林その1)で書いたとおり、柏井付近の竹林はこの付近特有の文化景観ですから松本清張の土地を見る目の鋭さに感心しました。

 また、水資源開発公団の方からいろいろ説明を受けて、その情報を小説の中で開陳していると想像させるような場面もあり、興味をそそられました。


2023年1月29日日曜日

有吉北貝塚北斜面貝層の土器新分類の整理理解

 Organizing and understanding the new classification of pottery on the northern slope shell layer of Ariyoshi Kita Shell Mound


I have organized and understood the information on the drastic revision of the pottery classification of the shell layer on the north slope of the Ariyoshi Kita Shell Mound. As the first task, I arranged the new pottery classification according to the time period and browsed through it. I understand that behind the new classification of pottery lies the actual state of correspondence between pottery classification and social change.


有吉北貝塚北斜面貝層の土器分類が抜本的に改訂されましたので、その情報を整理咀嚼理解しています。最初の作業として時期別に並べて、通覧して観察しました。最大の変更点はこれまで加曽利EⅢ式土器として分類されていたもの(第12群土器)が解体されて全て加曽利EⅡ式土器の古、中、中~新、新のいずれかに変更になったことです。

今回の改訂新部類による加曽利EⅡ式新の土器は環状集落住民が使っていた最後期の土器であり、加曽利EⅢ式期の環状集落を意識的に避けて分散居住した時期の土器(加曽利EⅢ式土器)とは異なることを教えていただいていいます。加曽利EⅡ式期とEⅢ式期の間には、房総では居住形態変化=社会の劇的変化が対応しているという点で大変重要な時点になっています。


改訂新分類による整理


発掘調査報告書分類と新分類

発掘調査報告書分類と新分類をともに通覧すると、新分類の方がわかりやすく合理的であると直観出来ます。加曽利EⅡ式の古→中→中~新→新の分類基準が体系的になっているように感じることができますから、新分類結果をより深く観察することにより、新たな土器図版に直面したとき、その時期を推察することができるようになれそうな気がします。

土器新分類を納得的に理解しつつありますので、この新分類を使って土器破片の3D空間分布分析を進めることにします。


2023年1月28日土曜日

手形壁画の切手

 考古学切手趣味 1


handprint mural stamp

Archaeological stamp hobby 1


I enjoyed stamps with handprint murals as designs. Cueva de las Manos Cave in Argentina and El Castillo Cave in Spain.


手形壁画を図案とした切手を楽しみました。アルゼンチンのクエバ・デ・ラス・マノス洞窟とスペインのエル カスティーヨ洞窟です。

1 アルゼンチンのクエバ・デ・ラス・マノス遺跡


手形壁画切手 アルゼンチン 1993年


手形壁画切手 国連 2007年

アルゼンチンのサンタ・クルス州にある洞窟クエバ・デ・ラス・マノスには多数の手形が残されていて、世界遺産に登録されています。Wikipediaには次のような情報が書かれています。

「洞窟内に描かれた手形の洞窟壁画はテウェルチェ族の祖先に当たると思われる先住民族によって9000年ほど前から描かれたものである。絵具には鉱物が使われており、それを吹き付けるのに使われた骨製のパイプが見つかっているため、年代が算定可能なのである。」

「塗料の色彩はヘマタイトから採取した赤をはじめ、白、黒、黄など多彩である。ネガの手形は大体紀元前550年頃と算定されており、ポジの手形は紀元前180年以降と推測されている。これに対し、狩りの絵は9000年以上遡ると推測されている」

「手形のほとんどは左手である。このことは、彼らがパイプを利き手(右手)で持っていたことを示唆している。手形のサイズは13歳くらいの少年と同じようにも見えるが、彼らが現代人よりも小柄であったであろうことを考慮すれば、もう少し上の年齢だったと思われる。ゆえに、手形を印すという行為は、聖地であった洞窟における成人通過儀礼であったと考えられている。」

アルゼンチンにはまだ旅行したことがないので、旅行する機会が生まれた時にはぜひともこの遺跡を訪問したいと思います。


クエバ・デ・ラス・マノス遺跡の場所

2 スペインのエル カスティーヨ遺跡


手形壁画切手 スペイン 1967年

スペインのエル カスティーヨ洞窟には旧石器時代の洞窟壁画があり、手形や動物などが描かれています。webページ(https://profesorluisduran.wordpress.com/2016/10/26/las-manos-de-el-castillo/)には次の情報が書かれています。(Google Translateで翻訳)

「エル カスティーヨ洞窟 (プエンテ ビエスゴ、カンタブリア) のこのパネルには、さまざまなシンボル (長方形、円盤、三角形、点) と一緒に約 40 の手があります。内部には、有名なバイソンや馬など、旧石器時代の岩絵の宝物がたくさんあります。洞窟の前庭には考古学的遺跡が発見されており、後期旧石器時代全体にその居住地があったことを示しています。」

過去にイベリア半島2週間というツァーに参加したことがあるのですが、今思い出すとお城とか城壁とか古いものでもローマ時代遺跡の見物が多く、それより古い考古学的遺物には巡り会いませんでした。今後再びスペイン旅行をする機会があれば、エル カスティーヨ洞窟を含む旧石器時代遺跡もぜひとも見学してみたいと思います。


エル カスティーヨ遺跡の場所

3 考古学切手趣味の楽しみ方

考古学切手という切り口で切手を収集する独自方法をまだ知らないのが現状です。やみくもに集めている中で、「洞窟絵画や岩絵の切手」と「エジプト関連考古学切手」の2種類のコレクションが自分の中でお気に入りになりつつあります。旧石器時代ビーナス像の切手とか、石器の切手とかを本当は集めたいのですが、そのような図案切手はまだ手元に少数しかありません。ブログで考古学切手に関する情報発信をしながら、また収集切手の整理をしながら、気長に収集活動をして、それを楽しみたいと思います。


2023年1月27日金曜日

加曽利EⅢ式横位連携弧線文深鉢(No.32)(市原市武士遺跡) 観察記録3Dモデル

 Kasori EIII type (Horizontal arc pattern) deep bowl (No.32) (Takeshi site,Ichihara City) Observation record 3D model


I made a 3D model of the observation record of the Kasori EIII type (Horizontal arc pattern) deep bowl (No.32) (Takeshi site,Ichihara City) and observed it.


加曽利EⅢ式横位連携弧線文深鉢(No.32)(市原市武士遺跡)の観察記録3Dモデルを作成して観察しました。

1 加曽利EⅢ式横位連携弧線文深鉢(No.32)(市原市武士遺跡) 観察記録3Dモデル

加曽利EⅢ式横位連携弧線文深鉢(No.32)(市原市武士遺跡) 観察記録3Dモデル  

撮影場所:加曽利貝塚博物館令和4年度企画展「あれもEこれもE 加曽利E式土器」(内房地域編)  

撮影月日:2023.01.12  


展示の様子

ガラスショーケース越し撮影

3DF Zephyr v6.513で生成 processing 106 images

Kasori EIII type (Horizontal arc pattern) deep bowl (No.32) (Takeshi site,Ichihara City) Observation record 3D model

Location: Kasori Shell Mound Museum 2022 Special Exhibition "That's also E..." (Uchibo area edition)

Shooting date: 2023.01.12

Shooting through a glass showcase

Generated with 3D model photogrammetry software 3DF Zephyr v6.513 processing 106 images


3Dモデルの動画

2 GigaMesh Software Frameworkによる展開


GigaMesh Software Frameworkによる3Dモデルの展開

3 メモ

GigaMesh Software Frameworkによる展開図に文様を描きこむとつぎのようになります。


文様描込図


2023年1月26日木曜日

花見川とお雇い外人技師デレーケ

 花見川よもやま話 第6話


Hanami River and Hired Foreign Engineer Johannis de Rijke


Johannis de Rijke is one of the great men who built the foundation of river improvement and erosion control in Japan. Dereke is a foreign engineer hired in the Meiji era, and is involved in the Inbanuma Canal plan. I made a note of that situation.


日本の河川改修や砂防の基礎を築いた偉人の一人である、明治期お雇い外人技師のデレーケが印旛沼運河計画にかかわっているので、その様子をメモしました。

1 ヨハネス・デレーケ

ヨハネス・デレーケはオランダの土木技術者で、明治期に来日したいわゆるお雇い外人技師であり、日本の河川改修や砂防の基礎を築いた偉人の一人です。

デレーケは淀川河川改修工事、木曽三川分流工事、常願寺川河川改修工事などにかかわり、治山・植林、砂防の重要性を指摘したり、粗朶沈床というオランダ由来工法を導入するなど指導者として大きな業績を残しました。また大阪港、三國港など港湾の調査・計画・工事の指導でも業績を残しました。


デレーケ像

農林水産省webサイトから引用

そのデレーケが明治期の花見川の運河化と大いにかかわっているので、その状況・様子をメモします。

2 内務卿大久保利通の7大プロジェクト


内務卿大久保利通の7大プロジェクト

三浦裕二・高橋裕・伊澤岬編著「運河再興の計画 房総・水の回廊構想」(彰国社)から引用

明治11年(1878)内務卿大久保利通は国土計画の7つの計画が含まれるいわゆる大久保利通の7大プロジェクト(「一般殖産および華士族授産の儀に付伺」)を建議しますが、この中に「印旛運河の掘削」が含まれています。明治期は鉄道が未発達であり、人流・物流ともに舟運発達が期待されていて、利根川-印旛沼-花見川-東京湾の舟運開通が国家的プロジェクトとして注目をあびていました。

3 「印旛沼開鑿成功予期図」と大明会の結成


印旛沼開鑿成功予期図

織田寛之著「印旛沼経緯記」から引用

明治19年(1886)に大橋精次は「印旛沼開鑿成功予期図」を世に公表し注目をあびました。この「印旛沼開鑿成功予期図」を契機にして利根川-印旛沼-花見川-東京湾を舟運でつなぐプロジェクト実行促進民間団体の大明会が発足します。大明会には織田寛之を筆頭に渋沢栄一、金原明善、高島嘉右衛門等が集い、資金調達に動きました。

なお、印旛沼開鑿成功予期図には織田寛之の漢詩とともに二宮尊徳の言葉「ナセバ ナル・・・」も掲載されていて、この頃二宮尊徳の報徳仕法が世の中に受け入れられていたこと物語っています。二宮尊徳は天保期に老中水野忠邦により引き上げられ、印旛沼堀割普請に関する調査報告書を作成しています。

4 デレーケの視察と報告

明治22年(1889)デレーケは渋沢栄一の推薦により利根川安食から印旛沼-花見川-東京湾一帯の視察を2回にわたり行い、報告を行っています。高明なデレーケのお墨付きは資金集めのためにも、内務省土木局の理解を得るためにも必要だったと考えられます。


デレーケの報告に関する記事(印旛沼経緯記 内編)1/4


デレーケの報告に関する記事(印旛沼経緯記 内編)2/4


デレーケの報告に関する記事(印旛沼経緯記 内編)3/4


デレーケの報告に関する記事(印旛沼経緯記 内編)4/4

デレーケの報告では「此事業ハ大利益ニシテ運河開鑿共ニ必成ヲ期スヘシ」として、経費として100万円を見積もっています。この報告を受けて織田等は事業計画として「印旛沼実益概況」を作成し、国庫から80万円の支出を取付け、100万円の県債を立てて実行に移そうとします。しかし日露戦争の影響を受け、事業は挫折します。

5 メモ (2023.01.27追記)

・渋沢栄一が金銭的に応援した織田寛之らの大明会プロジェクトは明治26年(1893)にはすでに挫折していて、その挫折という結果を受けてまとめた資料集が「印旛沼経緯記」(明治26年7月、8月発行)になります。

・従って印旛沼運河プロジェクト挫折は日露戦争(1904~1905)とは関係ありません。(日露戦争の影響という記述はある土木専門書の記述にあったものを咀嚼しないで引用したものです。)

・挫折の要因は競合プロジェクトである利根運河の開通(1890)などが関わっていた可能性がありますが、今後詳しく検討することにします。

2023年1月25日水曜日

縄文土器3Dモデルの色塗り遊び

 Jomon pottery 3D model coloring play


I painted a Jomon pottery 3D model for a casual break. I realized that if you want accuracy, it's a surprisingly time-consuming task. It seems that this play will deepen the recognition of the pattern structure of the pottery.


気軽な息抜きのつもりで縄文土器3Dモデルの色塗りをしました。正確性を求めるならば、意外と手間がかかる作業であることに気が付きました。この遊びで、土器の文様構成認識を深めることが出来そうです。

1 縄文土器3Dモデルの色塗り

縄文土器3Dモデルの色塗り

隆線…空色

縄文施文部…緑色


3Dモデル色塗り手順


縄文土器3Dモデルの色塗りの様子

この縄文土器の3Dモデルリンク

https://skfb.ly/oCUwI

この縄文土器の記事リンク

https://hanamigawa2011.blogspot.com/2023/01/eno26h3d.html

Jomon pottery 3D model coloring

Ridges…sky blue

Jomon pattern part…green


縄文土器3Dモデルの色塗りの動画

2 縄文土器3Dモデルの色塗りのGigaMesh Software Frameworkによる展開


縄文土器3Dモデルの色塗りのGigaMesh Software Frameworkによる展開の様子

3 メモ

気軽な息抜きのつもりで縄文土器3Dモデルの色塗りを始めたのですが、Photoshop作業で、隆線の凸部にあわせて空色線をひくことが、起伏にエッジがないので、少しやっかいであることを体験しました。正確性を求めるならば、意外と手間がかかる作業であることに気が付きました。短時間に限定した色塗り遊びのつもりでスタートした作業に、いつの間にか熱中してしまいました。こうした作業をすることによって、単に3Dモデルを観察するのでは気が付かない文様構成の特徴に気が付くことができました。


2023年1月24日火曜日

花見川に舞い降りた白鳥

 花見川よもやま話5


Swans that landed on the Hanami River


There was a time when swans landed on the Hanami River and it became a hot topic, so I ruminated on that thought and enjoyed it.


花見川に白鳥が舞い降りて話題になったことがありますので、その思いでを反芻して楽しみました。

1 2011.02.21水資源機構千葉用水総合管理所ホームページ画面


2011.02.21水資源機構千葉用水総合管理所ホームページ画面

画面にはつぎのような説明が書かれています。

「平成23年1月31日、花見川(印旛疎水路下流)に4羽の白鳥が舞い降りました。

ここは、大和田機場から南方に約700mの花見川と勝田川の合流地点付近。千葉市花見川区横戸町。川沿いを散歩される方々も「どうして、ここに?」「何十年も、ここに住んでいるけれど白鳥を見るのははじめて!」しばし、花見川はみんなの癒しスポットになりそうですね…。」


2011.02.21水資源機構千葉用水総合管理所ホームページ画面(拡大)

当時私はこのホームページ画面をみて早速現場の勝田川合流部の花見川に出かけたのですが、もう白鳥はいませんでした。


白鳥の去った勝田川合流部付近の風景(2011.02.21)

このころは勝田川合流部拡幅の工事が終わったばかりの頃であり、新たにみつけた広々とした水辺空間が棲みかになるかどうか、印西市本埜の白鳥が偵察にきたのかもしれません。

印西市本埜の白鳥飛来地には2023年1月19日には1008羽の白鳥が飛来してきています。印西市立本埜小学校ホームページによる。

印西市本埜の白鳥飛来地と2011年2月に白鳥が飛来した花見川勝田川合流地点の位置関係を示すとつぎのような地図になります。


印西市本埜白鳥飛来地と花見川白鳥飛来地

なお、web検索すると花見川瑞穂橋付近に2015年から2016年にかけて2羽の白鳥が飛来し、付近の住民が白鳥に親み、大事にした様子の記事が幾つか見つかりました。

花見川に白鳥が飛来したという事実に直面して、白鳥が住みやすい千葉県をつくるのにはどうしたらよか考えてみるのも、意味のあることだと思います。普段はそのようなことを考えることはありませんから。さらにコウノトリやトキが舞う千葉県をどうしたらつくれるのか、考えてみることもたまにはあってもよいかもしれません。


2023年1月23日月曜日

有吉北貝塚理解のための加曽利E式土器学習の能動化と問題意識

 Activation and problem awareness of Kasori E-type pottery learning for understanding the Ariyoshikita shell mound


I am trying to analyze the 3D spatial correlation between shell layers and pottery/relics on the northern slope of the Ariyoshikita Shell Mound. During this time, I became keenly aware of the necessity of activating Kasori E-style pottery learning, and my awareness of the problem deepened.


有吉北貝塚北斜面貝層について貝層と土器・遺物の3D空間相関分析にチャレンジしています。この中で加曽利E式土器学習の能動化必要性を痛感するとともに、問題意識が深まって来ました。

1 有吉北貝塚北斜面貝層における3D空間相関分析の方法

有吉北貝塚北斜面貝層におけるこれまでの3D空間相関分析の方法は次の通りです。


発掘調査報告書土器分類による土器破片の3D空間へのプロット


プロットされた土器破片と貝層断面図との対応分析の様子


プロットされた土器破片と貝層断面図との対応分析の様子


層位別貝層の時期特定 例

2 発掘調査報告書土器分類の抜本改訂情報


発掘調査報告書土器分類の抜本改訂情報

昨年末、発掘調査報告書土器分類の抜本改訂情報を千葉市埋蔵文化財調査センター所長西野雅人さんから入手しました。これにより、土器破片の3D空間へのプロットを全部やり直し、貝層断面図との対応分析についていも新規に行うことになりました。

3 加曽利E式土器分類学習の能動化の必要性

これまで、発掘調査報告書の土器分類は「正解」として認識し、それを前提に作業してきました。しかし、その分類が根本的に改訂され、自分に提示されました。それにより自分の学習姿勢がかなり虚弱であったことに気がつきました。つまり、発掘調査報告書の土器分類は何ら疑うべきものではなく、金科玉条として、考えることなく使ってきたのです。十分に理解して、確かにそうだと納得して使ってきたものでないことに、否が応でも気が付かさせられました。

これから、土器分類抜本改訂情報を基にかなり膨大な作業を楽しむことになりますが、もう以前と同じようにこの新情報を無邪気に所与の前提条件とする愚は避けたいと思います。この新情報を自分なりに十分咀嚼して納得することが、膨大作業を支える気力の一部を構成することは確実です。

当面は次のような土器分類学習を行いたいと思います。

4 有吉北貝塚北斜面貝層に関連する土器分類学習の方法

・北斜面貝層土器分類改訂情報の整理(改訂分類に基づく図版集作成)

・北斜面貝層における阿玉台式土器、中峠式式土器、加曽利EⅠ式土器、加曽利EⅡ式土器(古、中、中~新、新)の特徴記述

→分類基準を納得的に知る(類推する)…知識Aの獲得

→知識Aから任意の土器破片図版について、その分類を高確率で判定できるようにする

知識Aの獲得には有吉北貝塚の情報だけでなく、これまで5年間にわたって開催された加曽利貝塚博物館企画展「あれもE…」観覧で得た情報と作成した200近くの加曽利E式土器3Dモデル資産を最大限有効活用することにします。


有効活用が期待できる加曽利E式土器関連の3Dモデルコレクション(arakiminoruのSketchfab画面

→中峠式土器と加曽利EⅠ式土器の時間的関係の検討

発掘調査報告書では中峠式土器→加曽利EⅠ式土器という時間的関係になっています。しかし、中峠式が土器型式ではなく「類型」として捉えられるようになり、また加曽利EⅠ式土器出土数が少ないことも含めて、北斜面貝層出土土器という具体個別事例について、中峠式土器→加曽利EⅠ式土器という時間的関係認識が妥当であるのかどうか検討することにします。

(余談:有吉北貝塚では竪穴住居軒数でいうと加曽利EⅠ式期が最大です。しかし北斜面貝層では加曽利E式Ⅰ土器が異常に少なくなっています。通常の解釈なら、加曽利EⅠ式期には別の斜面貝層に土器を捨てたからという推定になるのだと思います。しかし、もし中峠式土器と加曽利EⅠ式土器に時間差がない…同時期に一緒に使われていたことが判明すれば、北斜面貝層に対する土器投棄は選択的に、つまり中峠式土器を選んで投棄していたという仮説も登場し、面白いことになります。)

5 有吉北貝塚北斜面貝層における土器分布問題意識

土器分類改訂情報を納得的に咀嚼して行う土器3D空間プロットと貝層との相関分析における問題意識は、現状では次のとおりです。

問題意識1 土器の投棄時期

・早期土器、前期土器、阿玉台式土器、中峠式式土器、加曽利EⅠ式土器の投棄時期がどの時期であるか証拠をみつける。

・早期土器、前期土器、阿玉台式土器、中峠式式土器、加曽利EⅠ式土器がそれぞれその時期に投棄されたものであり、加曽利EⅡ式期の土器大量投棄に伴って混入的にもたらされたものではないという「作業仮説」を設定して、その作業仮説を検証するスタイルで、実際の投棄時期を検討することにします。

・竪穴住居跡の覆土層には多様な時期の遺物が混入していて、遺物が「流れ込んだ」と把握されることが一般的です。北斜面貝層で同じようなことがいえるのか、いえないのか一つの論点になります。私は貝層の立地条件から「流れ込んだ」「混入した」という状況はほとんどないと想定しますが、データでそれを言えるようにしたいと思います。ただし、早期土器、前期土器は3D情報がないので、どこまで検討できるかは不明です。

問題意識2 貝層の形成時期

問題意識1ともかかわりますが、早期土器、前期土器、阿玉台式土器、中峠式式土器、加曽利EⅠ式土器の投棄と連動する貝層があるかどうか、つまり早期、前期、阿玉台式、中峠式、加曽利EⅠ式の貝層が存在しているのかどうか、データ証明的にどのようなことがいえるのか、検討することにします。ただし、早期、前期は情報量が少ないので検討が進まない可能性があります。

問題意識3 貝層移動・土器移動の実態

問題意識1・2ともかかわりますが、投棄された土器・貝が投棄時点以降どの程度移動したか(流されたか)、そのイメージをできるだけ定量的に推定する必要があります。

貝や土器が移動している(流されている)ベクトルを貝層断面図から読み取ることは出来ます。しかし、貝層断面図と土器3D分布を詳細に観察する限り、その移動は限定的であるように感得できます。移動ではなく、配置されたと推定できる状況もいろいろと見つかっています。そのため移動のイメージをできるだけ定量的に把握することが大切です。「かなり移動した。」とか「ある程度移動した。」とか「移動は限定的である。」とかの言葉によるコミュニケーションでは問題意識1・2を解明できません。


2023年1月21日土曜日

加曽利EⅡ式新段階意匠充填系深鉢(No.26)(市原市草刈遺跡H区) 観察記録3Dモデル

 Kasori EII type (New stage,design filling system) deep bowl (No.26) (H ward,kusakari site,ichihara City) Observation record 3D model


I created a 3D model of the observation record of the Kasori EII type deep bowl (No.26) (H ward,kusakari site,ichihara City) exhibited at the Kasori Shell Mound Museum Special Exhibition "That's also E..." (Uchibo area edition).

The characteristics of this pottery include the untextured zone on the neck and the body design (a design in which the body is filled with spiral patterns).


加曽利貝塚博物館令和4年度企画展「あれもE…」(内房地域編)に展示された加曽利EⅡ式新段階意匠充填系深鉢(No.26)(市原市草刈遺跡H区)の観察記録3Dモデルを作成しました。この土器の特徴として、頸部無文帯、胴部意匠(渦巻文で胴部を埋める意匠)をあげることができます。


1 加曽利EⅡ式新段階意匠充填系深鉢(No.26)(市原市草刈遺跡H区) 観察記録3Dモデル

加曽利EⅡ式新段階意匠充填系深鉢(No.26)(市原市草刈遺跡H区) 観察記録3Dモデル

撮影場所:加曽利貝塚博物館令和4年度企画展「あれもEこれもE 加曽利E式土器」(内房地域編)

撮影月日:2023.01.12


展示の様子

ガラスショーケース越し撮影

3DF Zephyr v6.513で生成 processing 134 images

Kasori EII type (New stage,design filling system) deep bowl (No.26) (H ward,kusakari site,ichihara City) Observation record 3D model

Location: Kasori Shell Mound Museum 2022 Special Exhibition "That's also E..." (Uchibo area edition)

Shooting date: 2023.01.12

Shooting through a glass showcase

Generated with 3D model photogrammetry software 3DF Zephyr v6.513 processing 134 images


3Dモデルの動画

2 GigaMesh Software Frameworkによる展開


加曽利EⅡ式新段階意匠充填系深鉢(No.26)(市原市草刈遺跡H区)観察記録3DモデルのGigaMesh Software Frameworkによる展開

3 メモ


展示説明

展示説明では、この土器の特徴として頸部無文帯、胴部意匠(渦巻文で胴部を埋める意匠)があげられ、いずれも東北の大木式の影響であることしています。頸部無文帯は縄文施文の後、磨消でつくられています。


花見川と二宮尊徳

 花見川よもやま話 第4話


Hanami River and Sontoku Ninomiya


Sontoku Ninomiya (Kinjiro Ninomiya) appears in the Inbanuma moat construction project during the Tenpo period. Sontoku Ninomiya is a rural reformer who is famous for his statue of him reading a book while walking with firewood on his back. I was surprised that Hanami Rover and Sontoku Ninomiya were connected, as I had little knowledge of history. I have tasted the real thrill of secret learning.


天保期印旛沼堀割普請に二宮尊徳(二宮金次郎)が登場します。二宮尊徳は薪を背負って歩きながら本を読む像で有名な農村改良家です。歴史知識の少ない自分は花見川と二宮尊徳が結びついて驚きました。秘かなる学習の醍醐味を味わいました。


花見川の歴史と言えば印旛沼堀割普請が最も有名な出来事であると言えます。江戸期の印旛沼堀割普請は享保、天明、天保と3回にわたって行われ、いずれも失敗に終わりました。しかし最後の天保期印旛沼堀割普請は防災、干拓だけでなく、舟運路開通という新たな意義を有するものでした。天保期印旛沼堀割普請はペリー来航前ですがすでに列強による外圧を意識した国際情勢のもとで、東北からの舟運を東京湾口を使わないで利根川-印旛沼-花見川経由で東京湾江戸城に導くという戦略的意義を内包する国家的大規模プロジェクトとなっていました。丁度その頃、アヘン戦争が勃発していて、日本もぼやぼやしているといつ列強の餌食になるかわからない状況に置かれていました。


天保期印旛沼堀割普請の計画図面 「天保期の印旛沼堀割普請」(千葉市)から引用

この天保期印旛沼堀割普請に脇役として二宮尊徳(二宮金次郎)が登場します。あの薪を背負って歩きながら本を読む像で有名な二宮尊徳が花見川学習に登場するのですから、歴史知識の少ない自分は驚きました。自分の知識の中で何ら関連性を意識していなかった二宮尊徳像と天保期印旛沼堀割普請が結びつくのですから、その瞬間の感情は表現し難い感動でした。学習の醍醐味を味わったということです。


二宮尊徳像

Wikipedia掲載画像引用


二宮尊徳像

Wikipedia掲載写真改変引用

農民の出であった二宮尊徳は荒廃した農村の復旧に力を発揮しその才能を世の中に認められていました。天保13年(1842)に天保改革の指導者であり印旛沼堀割普請の推進者である老中水野忠邦の信頼を得て、幕府の御普請役格に任ぜられました。その最初の仕事が「利根川分水路見分目論見御用」でした。二宮尊徳は共のもの重蔵を同行して10月21日に江戸を出発して現場に赴き、11月15日には江戸に帰りその後報告書を提出していて、短期間に効率的な作業をしています。次の孫引きは二宮尊徳が提出した報告書冒頭部分です。


利根川分水路堀割御普請見込之趣尋に付申上候書付 栗原東洋「印旛沼開発史 第1部上巻」(1972年)から引用

二宮尊徳の報告書内容は土木技術的な問題点を指摘して開削計画を立案するとともに、事業を成功させるためには農民の賛同を得ることが必要であり、そのために貧乏を克服するための長期にわたる施策を含んでいます。この報告書は20年以上の先までを見ているもので、幕府に採用されることはありませんでした。

なお、二宮尊徳が調査報告を求められる2年前の天保11年から、幕府は本格的な利根川分水路堀割普請の計画策定作業に着手しています。老中水野忠邦が二宮尊徳に調査報告をもとめた背景には、大規模プロジェクトの実施組織の中に対立や調整されていない状況があり、この対立をなんとか緩和し、できれば何らかの技術的名案はないものかと思案していたことがあるようです。(栗原東洋「印旛沼開発史 第1部上巻」(1972年)による)

天保期印旛沼堀割普請の中で二宮尊徳が果たした役割は脇役というか端役に過ぎないものがあります。しかし、荒廃地域復旧の地域開発専門家である二宮尊徳が登場するほどに、この普請は国家的見地からのビッグプロジェクトであったといえます。その後老中水野忠邦は失脚し多くの普請関係者が連座しますが、二宮尊徳は生き残り、日光神領の立て直しの命を受け活躍します。二宮尊徳の農村改良策(報徳仕法)は明治前期にかけて各地に広まります。


先日子どもたちと交流する機会がありました。その時、「花見川で染谷源右衛門以外に有名な人はいますか」という質問を受けました。染谷源右衛門は享保期印旛沼堀割普請の創始実行者で千葉市や八千代市小学校副読本に必ず登場する郷土の偉人です。予期せぬ質問に「有名人」という語句に反射的に反応してしまい二宮尊徳(二宮金次郎)と答えてしまいました。自分の子どもの頃は薪を背負って歩きながら本を読む銅像をよく見かけたと話すと、子どもたちは二宮尊徳を知っている様子でした。二宮尊徳が登場する漫画とかアニメがあるのでしょうか。

花見川で染谷源右衛門の次に有名な人はだれでしょうか。老中水野忠邦ということになるのでしょうか。自分の内なる有名人ランクとしては、二宮尊徳の次に明治期印旛沼計画のお雇い外人技師のデレーケが、その次に同じく明治期の渋沢栄一が、さらに印旛沼堀割普請を小説「天保図録」にかいた松本清張が、さらに印旛沼堀割普請を研究して「印旛沼開発史」にまとめた栗原東洋と続きます。花見川は単なるトリガーであり、もともと二宮尊徳、デレーケ、渋沢栄一、松本清張、栗原東洋に興味を持っている自分が存在しているということです。


2023年1月19日木曜日

花見川のトーチカ

 花見川よもやま話 第3話


Hanami River Pillbox


We discovered concrete pillbox remaining on the riverbed of the Hanami River, and conducted a preliminary survey with a local citizen group. The hypothesis that it was a facility to utilize the Hanami River moat as a line of defense against the U.S. forces in the mainland decisive battle also became a hot topic.


花見川河川敷にコンクリート製トーチカが残存していることを発見し、地元市民グループで予備調査しました。花見川堀割を本土決戦における米軍阻止線として活用するための施設であるという仮説も話題となりました。

1 はじめに

周辺住民でもほとんど知られていない花見川のトーチカを2012年の花見川散歩で偶然発見し、地元市民グループで予備調査しました。普段は土と灌木に覆われ全く見えない戦争遺跡の存在を確認し、予備調査報告書を河川管理者(千葉県千葉土木事務所)と千葉市文化財担当(千葉市教育委員会文化財課)に提出しました。


花見川河川敷内で発見された戦争遺跡の予備調査報告書

ここからダウンロードできます。

2 花見川のトーチカ

花見川堀割の右岸で鷹之台カンツリー倶楽部に隣接する河川敷内にコンクリート製のトーチカ(砲口を備えた陣地)があります。土と灌木に覆われ、その全貌を現在は確認できません。現在は銃眼口を備えたコンクリート製監視塔下部と半ば埋もれたコンクリート製トーチカ本体の一部を確認できます。


戦争遺跡の分布

コンクリート製監視塔下部は調査グループによる草刈でその全貌を観察できるようになりました。(現在は灌木繁茂により、再び全く観察できない状況になっています。)


銃眼口のあるコンクリート製監視塔下部


銃眼口のあるコンクリート製監視塔下部

米軍撮影空中写真(1949)を拡大するとこのトーチカの様子をある程度推察することができます。


米軍撮影空中写真


空中写真判読によるトーチカの様子


空中写真判読によるトーチカと軽便鉄道橋台・橋脚の様子

このトーチカに関連する文書資料は見つけていません。予備調査グループでは、戦争末期に九十九里浜に米軍が本土上陸して東京方面に向かう際に、軽便鉄道鉄橋を使わせないためのトーチカであるとの見立てが話題となりました。

なお、トーチカ内部に危険物が残存している可能性が排除できないため、予備調査では内部調査を実行しませんでした。