私の散歩論

ページ

2011年2月15日火曜日

花見川上流紀行 28現存する道教石

 上記の視図「柏井村道教石」は迅速図「千葉県下総国千葉郡大和田村」図幅(明治15年2月測量)の右側に描かれているものです。現代人がこの絵を見ると、石塔と樹木のバランスがとれた風景を描いた絵として鑑賞してしまいます。しかしこの絵は、内戦行軍時に備えて、兵士が道に迷わないようにするための情報として描かれたものです。
 描かれている石塔は道が北方向に向かって分かれる場所に、道案内として立てられたもので、現在でも同じ場所に立っています。
迅速図では「イ」記号が道が二股に分かれてスペースがないため表記できないので、近くの別の場所に表記されていますが、目標となる石塔(及び樹木)は□記号で正確な位置に表記されています。
 視図では、正面に向かっている道(大和田方向)と石塔(と樹木)手前で右に分岐している道(横戸・志津方向)が表現されています。現場で現物を確認すると、確かに石塔の左側面は「是ヨリ大和田道」、右側面には「是ヨリうすい道」と書かれています。
 視図の石塔の部分を拡大して、現地で撮った写真と比較すると「青面金剛王(しょうめんこんごうおう)」の文字と石塔の外形が一致します。この石塔が庚申塔であることが確認できます。文政2年(1819年)の年号が確認できます。
 約130年前の陸軍兵士によってスケッチされ、その資料を廻りまわって散歩人の自分が見たことを考えると、現場で感情が少し高ぶりました。
 視図に出ている樹木は現在ありません。次の資料は大正6年測量の旧版1万分の1地形図「三角原」図幅の部分を拡大したものです。ここに「庚申櫻」という独立樹が描かれています。この「庚申櫻」が視図に描かれた樹木と同じものであることがその名前から確認できます。
 なお、視図に描かれた樹木の画像をパソコンで拡大してよく見ると、樹皮の描き方が桜のそれとして描かれていることが確認できます。視図が描かれたのが2月ですが、最近(平成23年2月12日)この場所の近くでみた桜の姿とこの視図の桜の姿の感じが良く似ていることに驚かされています。迅速図を作成した陸軍兵士が、高度なフランス式絵画風描画技法を身につけていたことに脱帽します。
 この道教石が教えてくれる2つの道である大和田道とうすい道を旧版1万分の1地形図に表示してみました。迅速図表示の幹線道路が限られているので道の同定は困難ではありませんでした。船橋、検見川方面や御成街道から大和田方面や成田街道に出る北方向移動の主要ルートとしてこれらの道があったと思われます。このうちうすい道は当時の元池弁天の近くまできてから、現在の弁天橋付近で花見川(新川)を渡ります。私が古柏井川と呼んでいる川の沖積平野への出口付近です。

0 件のコメント:

コメントを投稿