私の散歩論

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2011年3月29日火曜日

花見川中流紀行 20明治前期の花見川橋と岡阜

            ホ 花見川橋縦断面(五百分一)

 迅速図(明治前期測量2万分1フランス式彩色地図-第一軍管地方二万分一迅速測図原図-)と視図(しず)〔地図に描かれているスケッチ〕の説明は以前の記事(花見川上流紀行27明治前期の新川橋〔現大和橋〕)で行いました。首都防衛のために陸軍が明治15年ごろ作成した地図です。
 この迅速図の「千葉県下総国千葉郡馬加村」図幅の視図2点を紹介します。

 上に掲載したのは当時の花見川河口付近に架かっていた国道の花見川橋の縦断面図です。500分の1というスケールが出ているので、地図上で計測すると、橋の長さ19m、欄干の高さ1m、水常(平均水面の意か)からの高さ1mとなりました。
 現在この場所は陸地になっており、花見川は西に150m程移動しています。その部分に架かっている橋は「新花見川橋」です。

            新花見川橋

 明治前期花見川橋と新花見川橋の見かけが似ていることが印象的です。

 次は岡阜です。読みは「こうふ」、意味は「おか。小高いおか。」(新修漢和広辞典、集英社)です。江戸から明治時代の軍事用語かもしれません。現在は花見川によって切断開削されていますが、かつて幕張平野に突出した台地の先端がありました。この台地先端の断面図が視図に出ています。この場所は幕張平野を一望できるので、野砲設置場所、偵察場所、指揮場所などとしての軍事価値を認めて視図を作成したものと思われます。

            ハ 検見川村国道之北側岡阜断面(四千分一)

 下の写真は上流の瑞穂橋から下流方向を眺めたもので、両岸に樹林が見えますが、左側の樹林が岡阜の頂部、右側の樹林がそれと切断されて孤立した岡阜の脚部です。(話しは違いますが、この脚部には貝塚があります。)

            瑞穂橋から下流を望む

 次に「ホ 花見川橋縦断面(五百分一)」と「ハ 検見川村国道之北側岡阜断面(四千分一)」の位置が掲載されている迅速図(部分)とほぼ同じ場所の現代地図を掲載します。

            迅速図

            現代地図

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